都市であること
松田 笹岡さんは何故タイトルに「CITY」をつけたんですか?
笹岡 公園を撮っていて、タイトルをつけようとしたときに、自然に「PARK CITY」だなと。腑に落ちるというか素直に受け入れられたんです。漢字にしようとカタカナにしようとHIROSHIMAという発音を入れると、どうしても先入観をもって写真を見てしまう。そうではなく、ある都市の写真なんだと。1980年前後のアメリカ西部にあるリゾート開発地を撮影したルイス・ボルツの『Park City』という有名な写真集があって、その言葉も知っていました。特に意識したわけではないけれど、参照項のひとつとしてはあったと思います。
松田 広島が公園都市なんですか?それとは関係なく、公園というものが広島という都市なんですか?
笹岡 はじめからそう思っていたわけではないけど、広島が公園都市だし、公園のなかに都市があるとも言えますね。実際、かつてはひとつの町があったわけですけど。広島っていう街の「気持ち悪さ」っていう意味で何かあると思ったんですね。公園を中心に成り立っていく、公園が中心に在るたたずまい。いまに至っても、たとえば旧市民球場の跡地問題では、大きな公園と公園の間にまだ公園作ろうという人もいる。当たり前だと思って育ったんですが、全然当たり前じゃなかった(笑)。そういう在り方の街だなっていう、圧倒的にそうだという妙な確信はあります。
松田 都市って何だろう。人や家が集まっているところなのかな。なんで都市なのかっていうのは、あらためて考えるとなかなか難しい。僕は田舎で育って、物心ついたときに住んでいた長崎という街を声紋都市と名づけましたが、模様のように、地形にへばりつくように、段差のある斜面に生活がある。家が建っている。それを原風景にみた後に、ものすごい田舎引っ越したんですよ。それで、今度は都会で生きていたいと思ったんだよね(笑)。そういいながら、結局京都に住んでいるんだけど(笑)。でも、東京みたいな都市には惹かれますねえ。
それと、さっき、笹岡さんがいった「ゼロ」って言葉が引っかかってるんだよね。なんか超高層ビルを建てれば建てるほど、「ゼロ」がみえるみたいに、背景がみえてくる。二重写しになっていく。そういう部分が都市に惹かれる部分かもしれないな。こんなに人がいていいのか?おかしいだろうって。
それと、都市のなかでも、広島はまた違うのかもしれない。死者を追悼する仕組みのなかで街が作られていくという気持ち悪さ。普通の農村の集落だったら、死に場所があって、慰霊の場所もあるわけだけど、広島はそれを真ん中にもってきている。中心に据えているわけですよね。普通の共同体だったら、村からはずれた自然に近いところに墓があったり、寺があったり、田園があって、それとは違う中心地に集落があって、盛り場があったりする。それと、広島は全然違うわけです。近代が直面した大量死ということを経て、生まれてきたような都市なのかもしれない。
天皇の住まいの場所も祈るところでしょ。大都市のなかにあれだけ広大な場所がある。同じとはいえないけど、広島もそういう場を抱えている。都市には抽象的なところがあるんじゃないかな。うまくいえないけど、いわゆる無意識みたいなものが都市には働いているように思いますね。
村や集落には、われわれの生活の営みから生じる理解がある。でも、都市には、そういう理解とは違う磁場によってできあがっているような感じがします。イタロ・カルヴィーノ(注2)の小説のように、水上都市とか、都市にはそういう命名の仕方ができる。確かに広島だったら公園都市だし。でも、村や集落にそういう命名はできない。
都市を証言する者
松田 それから「都市を証言する」ことについても、特に前々作の『クリプトグラフ』(注3)という作品以降、考えていますが、都市を人格化する住人がいる感じがします。その都市のことを語る人。それが演劇になればと思うんです。それは農村とか漁村といった集落とは違うような「広告」になるような気がするんです。うちの村は米がたくさんとれるとか、魚がたくさんとれるとか、死んだらあそこに神の山があって死者はあそこにいくんだ、という言い方だと、観ている人とコンセンサスがとれる。でも、「僕が住んでいる都市は公園都市で・・・」というと、観ている人たちは、ただちに納得できない。笹岡さんがいうように、住人として住んでいたら、いつのまにか納得させられているんだけど、考えてみたら自分の街は妙だったということがある。とすれば、そのことについて何かを語る人がいてもいいのかなと思って。都市の証言ってそういうところがあるのかなって思って。それはそもそも都市の成り立ちが奇妙だということでしょうね。
笹岡 広島の被爆証言者から、学校で直接体験を聞くことがあるんです。他にも資料館のなかで流れているビデオで証言を聞くこともある。そこでの語りは、たいていが普通の広島弁よりも標準語寄りだし、抑揚のつけ方とかとても上手で相手を引き込んでいく。恐れずに言えば、すごく演劇的でどこか空々しいんですね。同じように県外の人たちも一般的には被爆の話を過剰なほど慎重に扱おうとするんだけど、地元のおっちゃんたちは「爆弾が落ちよったんじゃけぇの」って全然慎重じゃない話し方をする(笑)。地元の飲み屋なんかで普通に耳にします。それは本当に都市の声ですね。そんなふうにどこまでいってもギャップがある。一方で、この前フラワーフェスティバルっていうイベントがあったんですが、8月6日の慰霊式が静の儀式だとしたら、こっちは動の儀式ですね。お祭りとして平和をアピールする。それはすごい人出で大盛り上がりです。そうしたアピールのなかで広島出身や在住の若い人たちが、広島に生まれたから平和を訴えたい、みたいな素直さというか単純さもどこか空々しい。
松田 「広島に生まれたからには、平和を語らなければならない」っていうのは、異常なことで。演劇の世界でも、広島に生まれたからには平和を訴える演劇をやる、原爆について語らねば、っていうのはある。証言者をはじめ声がパフォーマティブになるっていうのは面白い。
笹岡 これまではそんなふうに思ったことはなかったんです。きっかけは、沖縄の写真家の比嘉豊光さんと一昨年関わったことですね。彼自身は写真家ですが、「琉球弧を記録する会」として、島クトゥバで語られる戦争体験を映像で記録しているんです。たくさんの語りを集めて、追加編集されながら、7、 8時間ある映画として上映されています。字幕がないと語りの内容はほとんど聞き取れないんですが、それを見たとき、証言をしているオジイ、オバアは、途中で話をやめっちゃたり、感極まって泣いてしまったり、怒りだしちゃったりと、広島の証言者たちとは全然違うんです。もちろん、私が広島で見ている物が限定されているということもあるとは思いますが。
松田 語り部たちの独特のモードってのはあると思います。語りモードっていうのかな。前回『声紋都市—父への手紙』(注4)は、長崎の取材からはじめたんだけど、マイクを向けたら、ぱっと語り部が「被爆者」に変わるんです。空気感が変わるんです。決まりきった話し方ってものがあるように思えた。たぶん、語り手もそうなんだけど、聞き手がそういうモードを要求している。だから、語り手がパフォーマティブになるということは、聞き手がそういうことを要求していることだと思う。意識化されているかはわからないけど。
たぶん、ウチナーグゥチの語り部たちっていうのは、まず「何で語らなにゃあかんの?」って疑問があったんじゃないかな。誰に話すかが、そして話し相手が何を要求しているのかが見えていない。広島の語り部たちは、自分たちはライセンスをもっているから、皆さんに聞いてもらうひとつの芸として語るんだろうね。語り手と聞き手の通路がぱっとできる。でも、沖縄の場合は、聞き手への疑念みたいなものがあるんじゃないかな?だって、誰に対して語るのかなっていうのがわからないから。
演劇もそうです。観客の求めるものがわかっていれば、それに応えればいいんだからある意味で何でもできる。でも、誰が観客なのか、対象がわからなかったら、そうはいかない。語り手と聞き手の間がスムースになる場合と、聞き手が想定できないって場合の違いかもしれないですね。
(2009.5.10 山口情報芸術センターにて)
笹岡啓子(ささおか・けいこ)
1978年、広島県生。東京造形大学卒業。ギャラリーの運営、展覧会や写真講座の企画、機関誌や写真集の発行など「写真」というメディアを使って多岐にわたる活動を展開する写真家集団photographers' galleryの設立メンバー。機関誌「photographers' gallery press」2~7号編集責任。2008年、VOCA展奨励賞受賞。2001年、初の作品発表以来、意欲的に国内外で個展やグループ展を開催。広島に育ち、街を離れたことから、歴史的な街(広島)の内側と外側を見つめる。その経験が、多くの作品に影響を与えている。一方で力強さを、また一方ではクールさを感じさせるその視点が多くのファンを魅了。現在、数々の批評家、写真愛好家から期待される若い世代の写真家の一人。
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