*3…アンダーグラウンドの略称。60年代後半から70年代前半にかけての反体制活動を通じた文化・芸術運動の流れの中の演劇として主に代表されるのは、唐十郎の「状況劇場」、寺山修司の「天井桟敷」、佐藤信の「黒テント」、鈴木忠志の「早稲田小劇場」である。前衛・実験と括ることができるが、現在では文化に対応する言葉のメイン/サブカルチャーへの移行に伴うメインカルチャーの二次的側面を持つサブカルチャーとの混同と、非公式の側面も併せ持つことから、公の概念が肥大した現代日本では、社会に表出し認知された時点で従来的なアングラの意は喪失している可能性がある。

*4…演出家・劇作家。1970年より「転形劇場」主宰。代表作に『小町風伝』『水の駅』『→(やじるし)』など。1988年に劇団を解散後、藤沢市湘南台市民センター芸術監督、近畿大学教授を経て京都造形芸術大学教授に就任。『小町風伝』の上演を契機に沈黙劇を確立させ、のちに創作された沈黙劇3部作『水の駅』『地の駅』『風の駅』は世界各国で上演を重ねる。2007年、肺ガンのため逝去。

*5…1977年、矢来能楽堂にて初演。第22回岸田國士戯曲賞受賞作。能の秘曲『卒塔婆小町』が下敷きに、老婆が過ごした夢幻の世界を展開。非常にゆっくりとしたテンポによる演者の動作と発声されない台詞、発声こそされないが戯曲は豊穣なまでの台詞に埋め尽くされていることが作品の特長として挙げられる。

*6…1993年、湘南台市民文化センターにて初演。第一回タシケント国際演劇祭のグランプリを受賞。日独共同プロジェクト『風の駅』を経て発表された沈黙劇。

*7…演劇批評家。京都造形芸術大学・舞台芸術センター発行の『舞台芸術』の責任編集を太田省吾と共に1~10号まで務める。ラオコオン・フェスティバル2002-2004の芸術監督。タルコフスキー著の『サクリファイス』(河出書房新社)『映像のポエジア―刻印された時間 』(キネマ旬報社)やカントール著の『死の演劇』(Parco出版)『芸術家よ、くたばれ! 』(作品社)の翻訳を手掛ける。自身の著書に『二十世紀劇場―歴史としての芸術と世界』(朝日新聞社)など。

*8…劇作家・演出家。「青年団」主宰。桜美林大学教授を経て、大阪大学コミュニケーションデザイン・センター教授に就任。現代口語演劇理論を提唱し、90年代以降の「静かな演劇」の旗手となる。日常の淡々とした風景を舞台上で展開する手法は韓国などでも評価を得、日韓合同作品の『その河を越えて、五月』は第2回朝日舞台芸術賞グランプリを受賞。代表作に『東京ノート』『ソウル市民』など。著書に『演劇入門』(講談社)『芸術立国論』(集英社)など。

 

 

松田:その自然さということがよく分らなくなったんですね。僕もいつの間にか自然にマザータンが獲得されていたということへの、でもそれは引っぺがすことができないゆえに、母語に対する想いというか、それは母と言っても良いのかもしれませんし、母性的な共同体が付き纏うっていう問題があるんだと思います。演出するときも、鈴木さんの話が出てきましたけど、頼りにするというか、その辺の喋り方とか考えました。第一世代のアングラ*3の方々がやろうとした、太田省吾*4さんとか全く喋らないという、もの凄く豊穣なものを書いてるのに、『小町風伝』*5はそれを喋らないようにしていったという、そういう演出をやってる人がいたっていうことが、この5年の中でやっと意識的にやろうかなと考えるようになりましたね。それまで、そういうことにあまり興味が持てなかったんですけど、やっぱりその、母語ということと関係しているかどうか分らないんですけれど、演出の観点は、最初のアングラをやろうとしてた人達は新劇の自然さを取ろうとしてたんじゃないかな。

内野:今太田さんの話が出ましたけど、今日、太田さんの追悼の会が京都造形芸術大学で行われているということもあるんですけど、今の母語、もうちょっと言うとナショナルなものが、日本とは何か?でも、日本語でも良いんですが、そういうものがアングラ第一世代で問題になっていって、それを太田さんに接続してゆくとですね、私の見方としては沈黙というのは凄く難しくてですね、下手をすると沈黙の共同体というんですかね、ナショナルな共同体になっちゃうんですね。沈黙してもそこでコミュニケーションが成立するということは、いわば何らかのナショナルなものが、つまり文化が共有されているということになってゆくわけで、で太田さんもそこに気付くわけですよね。もちろんナショナルなものが一概に害があるとは言えないんですけれども、例えばアフリカの方でナショナルなものは全くOKだったりするわけですよね。つまりナショナルなものの方が抑圧されているというのが旧植民地では当然あるわけですから、でも日本の場合はそうではないだろうということが絶対にあって、そこで太田さんが90年代の半ばに『砂の駅』*6を上演されたあたりでも、できなくなるんですよね。もう先に進めなくなる。自分としてはナショナルなものではなく、人間の普遍、あるいは人間存在の基底のようなものにアプローチしているつもりなんだけど、結局ナショナルなものに回収されたんじゃないか、と。まあ、そういう批判を私とか鴻英良*7さんがガーガー言っていた、ということもあるんですがね。それで、お前らにそういうことを言われて俺はできなくなってどうすりゃいいのかと反駁されたことがあるんです。責任をとれ、みたいなことで、太田さんに問い詰められたことがあって、松田さんの上演を観てると、そういう狭いところへは全く行ってないという。その差が大きいのではないか。時代環境も当然あるんですが、松田さんはアングラ演劇一般的な意味における「現場の親分」のタイプじゃない。中小企業の社長体質ではないということですよね。太田さんももちろんそうではなかった。にもかかわらず、ナショナルなものに至りついてしまった。

松田:集団を作るときは家族的にならないようにするのが大事だなと思ってるんですけど。顔だけ見たら気分が分かるとか、なんか抑圧してひとつの集団をつくるという、父権的な。でもなりますけどね。ならざるをえないときもあるんですけど、なんとか相対化して。

内野:凄く従順であるようなことと、今できてきているような特別な複数性と、集団性と言ってもやっぱり複数性という言葉があって、パフォーマーの人達がそれぞれ別だっていうところで繋がっているというか、その質感なんかが強要されているんだけれども、もっと大きな共同性についての複数性っていうのは割とベタに関連していて、平田オリザ*8さんなんか同世代だと思うんですけど、彼なんかはおもしろいですよね。集団そのものに父親なんか必要ない、と開き直るんですよね、その一方で、父親的な存在なしでは演劇の現場は成立しないんだから、現場においてはやっぱり、意識的だろうと思いますが、強圧的に振る舞って平田オリザさん以外喋れないという。人に聞いた話に過ぎないので、ほんとうかどうかわかりませんし、かなり前のことなので今でもそうなのかどうかは知りませんけどね。でもそれはある意味非常に厳密な対処の仕方ですよね。だけど、松田さんがそこで揺れているということは、平田オリザさん以降という意味でも重要だし、それに民主主義じゃあ駄目というか、演劇にならないじゃないですか。民主主義で下手でも良いよ、何でも良いよ、といってやると演劇としては、ある世界として人に見せるようなものにはならない。で、日本の場合は下手な人が一生懸命やってるのを喜んで観るっていう歴史があると思うんですよね。それもまた、私は駄目だと思うんですけれども。

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