松田:日常的な所作にならないように、俳優はすぐ日常的な所作になってしまうところがあるので、抽象的に作り上げようとしている感じはあるんですけどね。
内野:でもそれって不利じゃないですか。決定すること自体が。俳優が出てきたときにこの人はどういう生活をしているんだろうかって思いますもん。そういうところを残してるところが私はおもしろい。最初から様式で皆出てくるとかじゃなく、だって痙攣の仕方とか倒れ方もね、バラバラじゃないですか。皆が一斉にバタッと倒れることないじゃないですか。
松田:それは気持ち悪いですね。
内野:気持ち悪いじゃないですか。そうならないところが、その人を残すということなんだと思うんですよ。その人はその人の倒れ方があるじゃないですか。叫び方も皆違うし。そういう固有のものを大事にしながら抽象性の方向に向かせようとしている。鈴木忠志さんのところも、当初は固有性はいらないよっていうのはなかったと思うんですが、どうもお前のベタなところは見たくない、私のビジョンに従った倒れ方をしてほしいっていう感じになったように思う。少なくも今はそうなっている。そこはまあ、作家としては、難しい選択だと思うんですけどね。
松田:そうですね、演劇は難しいっていうところはあるんですけれど。この作品はエジプトのカイロ初演で、そのときカイロでずっと一緒に付いててくれた批評家の北野圭介*14さんが来ていらっしゃるのですが、(客席に向かって)北野さん、なにかございませんか。
北野:私は演劇の人間じゃなく映画の人間なんですけれど、カイロで観たとき驚いたのは、各国の演劇批評家などを連れて観劇したとき、非常に評判が良くてですね、皆さん熱を持って色々語ってくれまして。向こうでもニュースレターなどでこの公演のことが取り上げられまして。それは何なんだろうなっていうことを考えたんですけれど、先ほどお話にも出てました母語とかもそうなのですが、僕が「私たち」って書くとき非常に中途半端に書いてるんですけれど、日本の代表にもならずに、だけれどもある種の日本的な、内野さんの言葉で言うと、この日常の私の身体のことかもしれないのですが、それが舞台上に立ち上がったとき、異なる文化背景を持つ人とか、かなり色んな国の方が来ていたわけですが、ある種共振反応を示したところがあって。それが何なのかということになるんですけれど。僕なりの整理で言うと、80年代後半にある批評家がローカルなものとナショナルなものとトランスンショナルなものが、言葉としてある程度安定していた時期がイメージのレベルで何十年かあった訳ですが、80年代後半から90年代前半にかけて、ローカルなものとナショナルなものとトランスナショナルなものの構造が崩れてきている。その反動でカウンターナショナルなものに影響する人とか、簡単にナショナルなものに影響する人とか、簡単にローカルなものに影響する人とおか、簡単にグローバリズムを唱える人がいるわけですが、実は表象化のレベルではグチャグチャに崩れてきている。その崩れてきているところが身体に現れてきていると思うんですけれど、この私の口からこの日本語を喋っているにも関わらず、例えば私の身体が既にグチャグチャになっているという、これが別の形で他の国でも起きてるんじゃないかと何となく感じたわけです。で、イギリス、フランス、カナダの国の人達も、ローカルなものでもなくナショナルなものでもなくグローバルなものでもない、その間で悶えている身体を私は観たんじゃないかな、と。
内野:こういう作品は東京でもあまり観れるものじゃないし、京都には三浦基*15君もいるし、私事ですが、私の実家がここから150メートル先にもあるなどという事情もあるし、京都に来る機会が増えるんじゃないかな。こういう時間をかけたものが評価されにくい時代で、直ぐ結果を出せって言われるけど、それを5年で。まあ、5年も早いと言えば早いんですけど。
松田:前回『アウトダフェ』*16を東京でやったとき、本当にお客さんが入らなくて悲しい思いをしたのですが。また京都で立て直して東京にも定期的に行こうと思います。本日はありがとうございました。
(2007.10.21 アトリエ劇研にて)
内野儀(うちの・ただし)プロフィール
東京大学大学院教授。パフォーマンス研究・演劇批評。主要著書・論文に『メロドラマの逆襲〈私演劇〉の80年代』(勁草書房)『メロドラマからパフォーマンスへ―20世紀アメリカ演劇論』(東京大学出版会)「野田秀樹とサム・シェパードグローバリティ・国民国家・演劇」(ユリイカ)など。米国を代表するパフォーマンス研究学術誌「TDR」(MIT Press)の編集委員。神奈川芸術文化財団理事・企画委員。
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