「正しいイメージ」への抵抗 −−マレビトの会「広島を上演する」に寄せて

笹岡  啓子

  かつて私はマレビトの会との共同制作で広島を舞台にした演劇作品「PARK CITY」(2009)に携わった。その時、松田正隆の提案により、私は自分が撮った広島の写真を劇中で自ら「写す人」を担った。上演の冒頭に登場し、中央に据えられたスライドプロジェクターとともに、終始、正面のスクリーンをじっと見つめ、一番最後に退場するというなかなかの苦行だった。「写真を投影する人」を俳優が演じることもできたし、舞台上に登場せずとも遠隔的に私が投影することも可能であったにもかかわらず、松田が私にその「役」を担わせる必要があったことをようやくわかってきたような気がする。
  その作品では私の写真以外にも、観客一人ひとりの手元に据えられた小型モニターや正面のスクリーンに流れてくる音や映像など、眼の前で展開される俳優の声や身体に没入して観る体験ではなく、むしろ散漫に、撹乱させるようなさまざま仕掛けがあった。それは松田にとっての「正しいイメージ」への抵抗のようなものだったのではないかといまになって思う。イメージとは文字通り写真・映像であり、「広島」という歌枕に蓄積したさまざまな景色でもある。そうしたイメージをあえて積極的に取り入れ、散りばめながらも、俳優の声や身体とはどこまでも合致することがなく、僅かに決定的にズレていく。
  その試みは、逆に写真・映像を含めた一切の舞台装置を用いない、後の「長崎を上演する」「福島を上演する」でのマイム的な上演に結実しているように見える。さらに今回の「広島を上演する」が実際の上演に先立って、まずは映画であり、オムニバスであるのは、あの時の撹乱に近い作用があるのかもしれない。

  「しるしのない窓へ」と「ヒロエさんと広島を上演する」はともに現在の広島においてはひとつのシンボルとも言える「基町アパート」の眺めが通底する。広くは1960年代以降のメタボリズム建築のひとつとして知られている建物だが、当地においては、戦後、焼け出された人々が河川敷から基町地区に不法占拠して暮らし、さまざまな社会的偏見から「原爆スラム」と呼ばれたバラック街のクリアランスの歴史でもあり、アパートへ移り住んだ外国籍の住民や高齢者の孤立化など複雑な現在がある。先の二作はともに、川とアパートのある眺め、どこからか聞こえてくる子どもたちの声や風、川辺、路面電車といった景色と音を丁寧に取り扱っている。筆者にとっても馴染み深いそれらは、住民だけでなく旅行者も含めた多くの人にとっての広島のイメージと言えるかもしれない。
  基町アパートから川辺を歩き、相生橋まで行けば原爆ドームが見える。本作四本のなかで原爆ドームをそのままに映したのは「しるしのない窓へ」だけであった。詩の交換を終えていったん別れた大学生の宇美は、主人公の真琴を呼び止めて何かを言おうとするが言葉が出ない。「何を言えばいいのか忘れました」。このショットの背景に佇む原爆ドームが78年を経てうっかり告白したようなセリフで印象的だ。
  原爆ドームやアパートを正面から捉えた「しるしのない窓へ」に続く「ヒロエさんと広島を上演する」は、それよりも遠目の窓越しからアパートと爆心地方面を捉える。話者であるヒロエさんは、一人称では語らない。幼少期の花見、名前の由来、隔離病棟での仕事、母の死、入院と転院、カレーやサバの煮付けの作り方、厳しい躾……。彼女自身の経験なのか、彼女の母のそれなのか、語りはスライドしながらも複雑に連なっていく。もつれそうなぎこちない語り口にもかかわらず、あまりにも仔細な記憶を紐解き、微細に言い直しを重ねることで、ヒロエさんは自身と母との経験に出会い直していく。彼女のシルエットをじっと見つめ静かに聴いている観客にできることは、その語りからもたらされる景色のなかをただ一緒にさまようことだけだ。
  続く「夢の涯てまで」は一転して東京を舞台にする。「広島に行っても何もみつけることはできなかった」と主人公よしみさんが断念を受け入れるところから始まる。よしみの部屋で背後に佇む男性の姿は、彼女には見えていない。見ることができないだけで存在はしているのだというアイスランドの精霊の話などから、おそらく彼女が喪ったばかりであろうその人だとわかる。精霊を見ることができないのはただ「チューニングをあわせていないだけ」。ラジオからランダムに流れてくる歴史上の出来事や各地の天気予報。チューニングをあわせるとは、過去を過去へと葬るのではなく、常に思い出し続けるということではないだろうか。よしみさんは原民喜の詩の一節を借りて、自身の記憶の再生と更新を静かに待ち望んでいるかのようだ。
  最後の「それがどこであっても」も同じく東京を舞台にしている。タイトルが示すとおり、東京で広島を、音によって体験しようとする難聴の青年のひとときが描かれる。冒頭の稽古シーンで松田正隆が劇団員へ語るマイムについての一節に触れておく。「ズレることの違和、それを正しいイメージによって修正することなく、間違ったままのこの手、この足、この顔によって担わなければいけません。(…)マイムを通して俳優と観客はここではないどこかをまさぐりあうことになります。あらゆる瞬間にすれ違いを見ながら、視線によってとらえることのできない触覚的に体験された出来事。(…)私がそしてあなたが触れた盲点のズレに孕まれるいくつもの距離、いくつもの時間、いくつかの忘却。(…)もしくは、それがいつか、どこであっても。私たちはマイムの実践を通して、身体はいかに間違えることができるのかを考えていきます。」(以上は筆者による書き起こし)
  音響スタッフである青年はこの稽古の後、人間の頭の形をしたダミーヘッドマイクを持って街へ出る。市電、ではない都電の車内。太田川、ではない荒川の河川敷。基町アパートの公園、ではない東京の公園。どうやら東京で広島の音を収集しようと試みているように見えるし、聞こえてくる。ここで冒頭の二作で聞いてきた「実際」の広島の音が思い起こされる。具体的な地名のアナウンスなどが含まれない限り、路面電車や河川敷や子どもたちの声がどこであるのかを私たちは簡単には聞き分けることができない。そして難聴である青年と私たち観客もまた、それぞれに聞こえ方は異なるだろう。徐々にエスカレートしていくかに見える青年は、ダミーヘッドマイクをコンクリートの壁に擦りつけたり、地面で引きずってみたり、橋の上から宙吊りにしてみたりする。マイクが人間の頭を模しているからこそより暴力的に映るし、聞こえる。彼はここで疑似的な環境音においてだけではなく、ジェノサイドという出来事を触覚的に追体験しようと試みているのではないか。ラストシーンが象徴するように、それが「実際」とはかけ離れていようとも、過去と現在の間にどれほど大きな裂け目があろうとも、いわば音によるマイムの実践を通して、観客を巻き込みながら、いかに聞き間違えることができるのかを試しているのだ。

  ここまで見てきたように本作全体に通底するモチーフである「基町アパート」、「原爆ドーム」、「川辺」、「路面電車」、あるいは「原民喜」などは冒頭に紹介した過去作「PARK CITY」においてもすでに同じくモチーフとして採用されていた。被爆から現在における広島のイメージを積極的に用いながらもそれらを大文字で固定するのではなく、それらの傍らで「ではない」からと零れ落ちそうな、聞こえにくい声や聞きづらい音を掬い取り、少しずつ視点をズラしイメージを更新していく。「正しいイメージ」から私たちはいかに逃れることができるのか。この問いを立てるために、演劇作品に先立って映画で示す必要があったのだと思う。それを、マレビトの会の上演における参加者にほかならない観客とともに紡いでいこうとするために。

2001年よりphotographers’ gallery(東京)を拠点に活動。広島に育ち、街を離れたことから、歴史的な街(広島)の過去と現在を見つめ、その経験が自身の作品に影響を与えている。東日本大震災後の被災地域を撮影した「Remembrance」を発表。現在、海の記憶をもつ日本各地の海岸線や稜線を交えた後続シリーズ「SHORELINE」の制作を続ける。おもな写真集に『PARK CITY』(インスクリプト)、『Remembrance 三陸、福島 2011-2014』(写真公園林)。

個展開催中:笹岡啓子写真展「PARK CITY」〜2023年12月24日
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