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MAREBITO 2010

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「ヒロシマ—ナガサキ シリーズ」(2009年より)について
Hiroshima / Nagasaki  記憶の声の分有   松田正隆(マレビトの会 代表)

 ヒロシマの廃墟の記憶の象徴として、今も原爆ドームは広島の都市に立ち続けている。
 その外壁にさえ触れることはできず、居住することもできず、建築物としての機能性を全く持たず、ただただ、ヒロシマの悲惨を記憶し、礼拝するべきものとして、それは広島にある。
 都市の景観の中で、違和感の権化のようなこの建築物が、ある意味、おさまりどころを得たかのように調和している。原爆ドームだけが、ヒロシマの原爆を記憶し背負い、ひとまず原爆ドームさえ当時のことを思いおこさせてくれる象徴であれば、今の広島はあのヒロシマとともに現在を生き続けられるのだ、というようにも思える。つまり、私たち(生きている側の人間)は、あのヒロシマを平和記念公園の中で管理し、その区画から外へ出ないように封じ込めているのである。都合の良いときに絵葉書でも見るように、そこに見にゆけるように、記憶は記念碑となって私たちを待っている。
 広島に何度か訪れるようになって、そのようなことを感じるようになった。
 記念碑(あるいは、また、平和記念式典)は、忘れっぽい私たちのための免罪符である。思い出させると同時に、忘れることを許してもいる。
 今年から、私は舞台作品において、ヒロシマ・ナガサキという二つの被爆都市をテーマにしたいと考えている。
 唯一の被爆国という言い方をするたびに、そしてまた原爆投下が被害者の側からのみ語られるたびに、都市の一画におさめられていたこれらのモニュメントが、「私たち日本人」のために動員されてきた。
 そのようなあり方では、「私たちの記憶」から排除された記憶の声を聞きとることはできないのではないか。私たちの言葉では理解できない記憶の声が、現在の広島と長崎にはあるのではないか。爆心地とその周辺のみに、それらの声を封印してはならない。そこには二重写しのように、私たちにとっての異邦の声がみえるはずなのだ。
 その声を聞くことができれば。

 その声を聞きとろうとすることから、私は、これからこの演劇活動を始めようと思う。そして、それを劇場空間の中で響かせることができればと思う。それが、私の願いであり、私に与えられた使命であると信じている。


HIROSHIMA-HAPCHEON:二つの都市をめぐる展覧会text 2010/10.15  松田正隆

はじめに
わたしたちは来訪者を待ち受け、待ち望む。
この作品は来訪者と出演者とそれをとりまく場所によってはじめて成り立つだろう。
来訪者は、かならずしも生きている人間とは限らない。

①空間設定
広島の「平和記念資料館」と「原爆死没者追悼平和祈念館」をモデルにしている。
モニターが12本、吊り下げられており、各モニターの下(hypo)に出演者は立ち、二つの都市についての報告/演技をする。
モニターには文字が表示され、下にいる出演者を上部から定義づける。展示物にたいするキャプションの役割を果たす。

②出演者
出演者は、報告者であり演技する。出演者は二つの都市についてのことがらを述べる。その「ことがら」の報告行為の過程で、その内容に取り憑かれ、そのことを演技することになる。「演技する」としたとき、その徹底した動詞的存在はもはやそれまでの報告者としての「私」という主語を特定できない。にもかかわらず、特定の誰かとしてそこにいるのである。爆心におけるそこに横たわるものの擬態である。報告行為から演技存在への変容によって、その人の社会的あるいは時空間のおける立場/位相に「非人称性」「さけめ・ゆがみ」が出現し、その過程で出演者は新たな名前を得た誰かとして生まれてくる。

③二つのH都市/爆心とその周縁
HIROSHIMAには、かつて原爆が落ちた。そこにはたくさんのHAPCHEON出身の人々が住んでいた。HIROSHIMAは日本であるが、HAPCHEONから来たたくさんの移民も住んでおり、戦争が終わって彼らはHAPCHEONへと帰った。
HIROSHIMAには爆心地(hypocenter)がある。しかし、HAPCHEONにはそれはない。あの日、頭上で炸裂した原子爆弾の光はHAPCHEONへ帰った者たちの中(記憶として、あるいは身体の表面にかすかに覆われて)に刻み込まれたままであり、HIROSHIMAから遠い場所へと移動したのである。
私たちの<展覧会>架空のHIROSHIMA HAPCHEONには、爆心地とそこから遠く周縁にある者たちの「声」が集うのである。
出演者はその声を代弁する。そして、彼ら彼女らは報告/演技する。
しかし、私たちはそれらが近すぎて(爆心)、遠くて(周縁)その声を見失うのである。

④殺してはならない/殺さねばならぬときは殺すこともやむをえない
私の父は兵士であった。兵士は人を殺さねばならない。戦争時においては「人を殺してはならない」という命題は否定される。
原爆投下の正当性は、戦時下においては主張されうる。原爆投下という広島長崎の犠牲で多くの人々の命が救われた。その後、この教訓を生かし平和が持続するということになる。つまり、抑止力である。抑止力とは相手国の架空の死者を所有することによって、相手国に対して覇権を得ることであろう。殺人可能性による脅しである。そのときにHIROSHIMAとNAGASAKIはその人類平和の過去の実例として平和(だが核抑止力による)に貢献することになる。記念され人類の記憶に留まり続ける。

⑤もうひとつの「二つのH」。
hypocenterとhypostase
爆心hypocenterとそこに横たわることhypostase。
爆心を故郷とし、そこに、なにものでもないものとして存在すること。
なにものでもないものとしてhypo(下に)「ある」ということ。名付ける者ではなく、名付けられ続け名付けようのないものとなるまでそこにあり続けるということ。
出演者が報告者から演技的存在へ変容することはhypocenterにおけるhypostaseである。

⑥報告と演技
<ソロ>
生実 「広島を歩く」
川面 「ヒロシマについて考える会」
桐澤 「生きているヒロシマ」「見る/見られる」
黒坂 「エノラゲイ」
児玉 「広島日記」「ハプチョン日記」
駒田 「ハプチョンのユウさん」
島 「広島の七つの川」
西山 「8月4日の平和公園の描写」
恵子 「ヒロシマガール」 
春美 「48時間と20分」
<アンサンブル>
桐澤、春美 「生きているヒロシマとるるぶ」
生実、島 「対話」
駒田、西山 「ヒロシマについての対話」
恵子+α 「夾竹桃」
武田+α 「24時間の情事」 
その他

⑦構成

⑧音声ガイド
武田によるガイド

⑨参考文献
「広島記憶のポリティクス」米山リサ
「原爆文学という問題領域」川口隆行
「原爆の記憶 ヒロシマ/ナガサキの思想」奥田博子
「ヒロシマを持ちかえった人々 韓国の広島はなぜ生まれたのか」市場淳子
「PARK CITY」笹岡啓子写真集
「この世界の片隅で」山代巴編
「ヒロシマ私の恋人」マルグリット・デュラス 清水卓行訳
「長い時間をかけた人間の経験」林京子
「ベンヤミン言語一般および人間の言語についてを読む」細見和之
「実存から実存者へ」エマニュエル・レヴィナス 西谷修訳


明倫アート 10月号 / 松田正隆 インタビュー①

①「ヒロシマ—ナガサキ」シリーズの第三弾として、今回の「HIROSHIMA-HAPCHEON:二つの都市をめぐる展覧会」が上演されるわけですが、そもそもこの題材を取り上げるきっかけとなったのは何でしょうか。

 いま、私たちが広島や長崎のことを語るとき、原爆による受難とその歴史的教訓をふまえた上での平和への記念(祈念)という文脈を避けては通れないという抑圧があるように思います。それはいまや国民や共同体の構成員のアイデンティティーとなっているのかもしれません。私が「唯一の被爆国」という言葉や広島市へのオリンピック招致の運動などに感じる違和感はそのようなところからきています。ふたつの爆心地はその後、加害/被害の対立などに単純化できない、さまざまな立場からの思惑がうずまき、とても強いポリティカルな「場」を構成しているように思います。そこでは、それぞれの立場からの、「爆心」の占有が図られているのではないでしょうか。陜川(ハプチョン)という韓国の被爆者の多く住む町をモチーフの一つにしたのは、私たちの集団意識に無意識のうちに働くそのような爆心地の所有願望に抵抗する意味合いもありました。しかし、その企てには危うさもあるのかもしれません。陜川を、私たちが異邦性を導き入れるための方策とし、そこに外部性を肩代わりさせてはいないかということです。当然、陜川はそこ住む者にとっては外部ではありません。このように、創作過程において産出される「私たち」意識とその「外部」にも着目し、今を生きる私たちにとっての「爆心」や「異邦」という言葉の本質と虚構を考察したいというのが、二つの都市、ヒロシマとハプチョンを取り上げた大きな理由です。

②松田さんご自身が、長崎のご出身であるわけですが、生まれ育った環境で、戦争体験について触れる機会が多かったのではないかと思いますが、どのように受け取ってこられたのでしょうか。

 私にとって、父が戦争に従軍し兵士であったことは、ある意味驚きでありました。父が前線で戦った経験のあるなしではなく、私の世代の知りえなかったそのような戦争体験への驚きでもなく、もっと単純なことです。「兵士であること」は「他者を敵とみなし、それを殺害せよ」という命令をうけ入れるということです。普段、私たちには倫理的にも「人を殺してはならない」という命題があるように思われますが、その前提の通らない世界に生きた者が自分の親であったのだというおそろしい驚きでした。しかし、これは、なにも私に限っての問題ではありませんが。
 もうひとつは、子供の頃長崎の原爆資料館で「無脳児」の写真を見たことがあります。現在、それは展示されておりません。被爆との遺伝的関わりが不明であるという理由から外されました。一時期までは被爆の実相をあらわす悲惨な例として展示され、それが証明できないとなると資料室の闇に収納されることになる。私には、その無脳児の翻弄されかたが、なにかを暗示しているように思えます。無脳児の側からは、何も言えません。写真ですし、脳がないわけですし、生まれて3時間で死にました。しかし、その「存在」の徹底した受動性に惹き付けられて来ました。

③現在の日本で、原爆や第二次世界大戦に関する題材を取り上げることの難しさや、意義を感じられることはありますか。またそれはどのようなときでしょうか。

 戦争体験を次の世代へ伝えるということで、夏になるとたくさんのテレビの企画番組が放映され、日本各地で追悼集会が行われたりします。いわゆる記憶の伝承の問題です。私はそれほどそのことに興味があるわけではありません。むしろ、夏の風物詩のようになされる記憶の伝達行為のうちに権力構造が潜んでいるのではないかと思います。また、日本の平和維持は沖縄におかれた米軍の核の抑止力によってなされています。そういう意味では、現時点でも私たちは火蓋のきられない戦時の状況にあると言えるでしょう。ヒロシマ・ナガサキは過去における重大な効力ある実例(悪く言えばみせしめ)として、この東アジアの抑止力における平和に貢献しているのです。なんという皮肉なことでしょうか。爆心地をそのような記憶の伝達、あるいは生々しいポリティカルな脈絡から演劇的に解放したいのですが。むずかしいです。

④今回は、昼の回/夜の回で長時間展示上演がされるなか、観客が好きな時間を切り取って鑑賞する、というスタイルです。この形式について、ご説明いただけますか?

 広島の原爆資料館を今度の作品の空間設定のモデルにしようと考えていました。あそこにはたくさんの遺品が展示されていますが、被爆していなければ、それらはただの「物」だったのです。被爆によってある意味展示的アウラを獲得したといえます。それ故に重要であり、その未曾有の光をあびたゆえに展示されたのです。そのことを手がかりに私たちなりの展覧会を催したいと思いました。原爆投下によって被爆することと人が言葉によって名付けられることは全く関係のないことのようにも思えるし、近しいことのようにも思えます。日常品が被爆によって展示物として定義づけられたように、生きている人間である以上社会的になんでもないものにはなれないからです。しかし、あの日、爆心地においては一瞬そのような事態がおきました。その垂直の暴力からの解放を名付ける言葉と名付けられる展示物との関わりから試みてみたいのです。そのためには、さきほどの無脳児の存在を指針としたいと思います。無論出演者が無脳児になることはできませんが、そのために演劇というフィクションがあるのだと思います。

⑤観客が、「何かを見逃している」ということを自覚することも含めての上演形態だ、と仰っていましたが、それについてご説明いただけますか?

 演劇には、なにか集団で、作り手の側から送られてくる一方的な表現を見逃すことなく見なければならない抑圧があるように思えて、私は動けない客席にいることにずっと緊張というか重さを感じていました。見逃すことを自覚することが観賞者の目的ではありませんが、そうならざるを得ないことになるということです。とくに見たくなければ見ないでいいとか、ここを見ている間にも何かやっているかもしれないけれどそっちを見られないのはしかたがないと思えるような演劇になると楽になるのではないか。従来の演劇鑑賞は基本的に演技者と観客が対面しているか、舞台を取り巻いて観るか、いずれにせよ、見逃しのリスクは少ないように客席は設置されています。しかし、見たものがあれば、その分、見たものの間に見なかったことが進行していたはずです。そうではない経路をたどった違う観賞者はそれを見ていたかもしれません。そのことがはっきりするような、鑑賞者の視線のありかたを模索したいのです。作り手にも予想できない観劇体験を目指したいと思ったとき、見逃し聞き逃しのリスクはかえってプラスにはたらくように思われます。

⑥「ヒロシマ_ナガサキ」シリーズは、今後も継続されるのでしょうか。また、現在着目されているものについて、すこしでいいので教えていただけますか?

 継続して作りたいと思います。次回は、久々に戯曲を書いて創作したいです。膨大な戯曲になると思うし、二年ぐらいかけて長崎のことを舞台作品にしたいと構想しています。