『声紋都市ー父への手紙』試演会パンフレットより

 「父」のことを作品の主題にしようと思ったのは、父というのは、人にとって最初に出会わねばならない「掟」「法」「尺度」ではないかと思ったからだった。たとえ、父が不在であっても、その人の生れ落ちた世界の「父なる者」がアプリオリにその人に影響をおよぼすのである。
 私にとっては、私の父がかつて日本軍の兵士であったことは大きな問題であった。そして、そのことは、日本の「父なる者」のことを考えることにもかかわる問題でもある。さらに、今後、マレビトの会の作品主題が国民国家から越え出ようとする際に、そのことを引き止める重い課題でもあるように思えた。
 父が兵士であったこと。その父が、戦争を生きのびた後、そのことをどのように記憶したのか。その父と、その父にとっての「父なる者=天皇」との関係が敗戦後も、ある意味本質的には何も変わらず維持されたのは何故なのだろう。
 たとえ、その父を拒絶したとしても、父は姿をかえて私の前に再来するのではないか。国家、国民、法、政治、帝国、植民地、そして言語における母国語、母語の問題を対象とするならば、すでにそのことを考える場に、「父」的な権力はもたらされてあるのではないだろうか。
 ただ、父権なるものを病巣とするのは安易であろう。そのように診断する医者などいないし、そのような審判を下す審級を私たちは持たない。その審判の位相こそが父権の起点であるからだ。
 いや、父権のあるなしにかかわらず、もしくは、それは隠されて、不可視のままに、審判は下され続けているのである。むしろ、そのことの方が、つまり、「父なる者」は最早いないように思えるのに、なんとはなしに上位から下位へと確信をもった判断だけが反復される不条理の方が、恐ろしいのだ。そして、息子である私こそが、その根拠のない世間の判断装置に組み込まれてしまっている。
 父を断罪しようと手紙を書き始め、書いているうちに、そのあまりの根拠のなさを許してほしいと思い、その手紙の中で父から自分への想像上の返信を書き、自分自身の父からの免罪を試み、父の断罪と自分の免罪を、父への許しとそんな審判の立場にあろうとした自分への断罪を一拠に行おうとしたカフカの「父への手紙」は、その試み自体ですでにもう気ちがいじみているのだ。だが、それが、私たちの姿でなくして何であろう。
 私はこの作品の創作を、故郷にいる父へカメラを向けることから始めた。私は、父のことを誰よりも愛している。だからこそ、父の従軍を許すことはできないし、同時に私自身の父に対する許しを差し出す在り処のことを考えると大きくぶれまくってしまう。しかし、そのことも含めて、この作品に描こうと思ったのだ。このような個人的な主題がどれほどの意味があるかはわからないのだが、この過程を経ないと次の重大な問題(敢えて言葉にするのならば、日本の旧植民地の犠牲者からの断罪と許しのこと)を取り扱えないような気がしてならなかった。

松田 正隆

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