松田正隆の仕事について――壁の間をぬう、挟間を動く

内野儀(うちの・ただし)

 あたり一面、壁だらけである。かつてはやった「バカの壁」もそこに入れてもよいが、自分で築いた壁、〈歴史〉や〈世間〉が築いた壁、ディスコミニュケーションの壁等々、多種多様な壁だらけで実に息苦しい。穴を開けようともがくと、さらに息苦しくなる。壁がないことにしてみると、今度はどうやって呼吸したらよいかわからず、思わず息を詰めてしまう。
 日本の現代演劇なる諸実践を見ていると、同じような息苦しさを覚える。今現在支配的なのは、近視眼的に身の回りだけを凝視することがもたらす息苦しさであり、なぜもうちょっと遠くを見ようとしないのか、と思えてくる。もちろん、そう簡単に遠くなど見えない。何しろ壁だらけなのである。それにしても、である。動けばいいのに、とわたしは思う。それとも、まったく身動きできないほど、わたしたちは壁に取り囲まれてしまっているというのだろうか?そういう〈感触〉があることは認めるが、問題は、誰もそれを実際に確かめようとしないように見えることだ。
 今、とりあえず動いてみること。ひとつには地理的移動という可能性がある。こちらのほうは、公的助成金がそれなりに出ているので、その気になれば誰にでも、とまでは言わないが、かなり簡単にできる。困難なのは、歴史的移動というやつである。日本演劇にかぎってみても、それにはそれ相応の歴史があり、その時代時代で問われた演劇にかかわる問題系があり、その多くが忘却ないしは放置されたとはいえ、そうした問題系を身体化あるいは言語化した諸実践がすべて消え去ったというわけではない。にもかかわらず、歴史を参照することがデフォルトどころか、まったくその逆に罪悪のようになっている。〈新しさ〉、すなわち微細な=認知可能な〈差異〉のみが価値になっている。
 松田正隆の仕事が興味深いのは、ほとんど例外的に地理的移動と歴史的移動を同時進行的に遂行中であることだ。劇作家としての活動でその名を知られることになった松田の作品は、2004年の『島式振動器官』以降のマレビトの会での上演において、日本演劇の歴史的アーカイヴ探訪という様相を呈することになった。それは演劇の原理的思考とも呼べるものだが、現場的な俳優との作業から、演劇の言葉と身体の関係を、その時々の主題的関心に従いつつも、実践的に思考してゆこうとすることである。
 そこには、いわゆるアングラ演劇や「静かな劇」のエコーがかすかに響いていると同時に、太田省吾という戦後演劇の巨人がその活動の最終局面で到達した境位を、別方向から眼差しかつアップデートさせようという強い意志が感じられる。同時に松田は、海外公演にも積極的に取り組むことで、日本のコンテクストでは孤立せざるをえない自身の方法的探求が、地理的広がりの中で重要な意味を持ちうることを感じつつもある。
 「ここではないどこか」という〈普遍〉に傾斜しすぎるきらいもあった『王女A』(2005)や『アウトダフェ』(2006)につづいて上演された『クリプトグラフ』(2007)は、こうした松田の方法的探求のひとつの頂点を示す。「暗号化された都市の記憶を音声化する」を基本コンセプトにするこの作品では、何よりその「音声化」を担当する身体たちのありようが決定的である。登場人物を再現するのでも、俳優の自己/内面を表現するのでもない。松田が選んだ雑多かつ多様なレベルにある言葉群を発語することによって、上演に登記されてゆく俳優達の身体は、「その人の身体」としかいいようのない独特の固有性を胚胎し、上演空間を埋めてゆく(だけである)。あるいは、埋めそこなう(だけである)。それらは、「確かな手応え」などとは縁のない「生きてしまっている/生かされているわたしたちの身体」である。日本ローカルであると同時に、グローバルに共振する可能性のある身体である。
 このようにして松田は、わたしたちの周囲にはりめぐらされた壁の間をぬってみせる。その挟間を動いてみせる。この〈みせる〉という身振りが何より彼の上演の特質になる。そしてそれは、壁に攻囲されているにしても、少なくとも演劇においては、動いてみることくらいはまだ可能だという希望をわたしたちに与えてくれもするだろう。

内野儀(うちの・ただし)
東京大学大学院教授。パフォーマンス研究・演劇批評。主要著書・論文に『メロドラマの逆襲〈私演劇〉の80 年代』(勁草書房)『メロドラマからパフォーマンスへ―20世紀アメリカ演劇論』(東京大学出版会)「野田秀樹とサム・シェパードグローバリティ・国民国家・演劇」(ユリイカ)など。米国を代表するパフォーマンス研究学術誌「TDR」(MIT Press)の編集委員。神奈川芸術文化財団理事・企画委員。


ノスタルジーの効用

森山直人(もりやま・なおと)

 松田正隆とマレビトの会の最近作である『声紋都市―父への手紙』が、「坂」の演劇であったことは、以前に書いたことがある(※)。舞台中央に大きな「坂」の装置が置かれ、俳優たちが仰向けのまま、白い無機質な「坂」の表面を、とてもゆっくりした速度ですべり落ちていく。その「坂」の後方には、これまた大きなスクリーンがあり、そこには上演時間を通じて、現実の長崎の街並が、そして印象的な坂の風景がいくつも現われるのである。なかでも、市街を遥かに見下ろしながら、ロープウェイが斜面をゆっくり昇ったり降りたりする映像の、あの速度が持つ身体感覚は忘れることができない。その映像を見ながら、私は、同じように、「ああ、坂道をたっぷり時間をかけて昇ったり降りたりしてみたい!」、という強い感情に不意に襲われ、すっかり夢中になっていた。
 このような個人的な体験は、松田正隆の作品にとって、けっして些末な事柄だとは思えない。私がここで考えてみたいのは、ノスタルジーをめぐる問題である。ゆっくりと流れる時間を懐かしむこと自体は、いまや度し難いノスタルジーでしかあり得ない。高度情報化社会に生きている「私達」にとって重要なのは、バソコンやケータイの画面に次から次へと強制的に送り届けられてくる無数の剣呑な、急な坂道のような大量の情報群を、一瞬にして飛び越えたり、時にはあたかもそんな坂道など存在しなかったかのように、一気に駆け抜けたまま涼しい顔を崩さすにいる「技術」の方であることは明白だ。だから、問題はゆっくり歩くことそのものではない。そんなことはせいぜい癒しにしかならないし、それは悪い意味でのノスタルジー、フェティッシュ化されたノスタルジーである。けれども、あえていえば、よいノスタルジー、効用あるノスタルジーとでもいうべきものがあるのではないか。ノスタルジーが瞬間的に喚起する強い感情によって、「私達」自身のなかに生じるざわめきへ、じっと耳を澄ます「技術」を修得しなければならないときが、いまなのではないだろうか。ノスタルジーが呼び起こすのは、忘却の彼方に沈められた無数の殺戮された記憶たちである。さっきまで、涼しい顔で微笑んでいた「私達」の呼吸にいつしか乱れが生じ、滑らかな皮膚がこわばっていく、そんなノスタルジーの体験は、一種の軽い狂気のようなものかも知れない。「闇」を殺戮する者は「闇」に復讐される。だが、もしも闇と交信し、新たな関係を築いていく手掛かりのひとつにノスタルジーがあるのだとすれば、そんなノスタルジーを、「舞台」や「劇場」などと呼ばれる場所で、まさにいま、実現することはできないだろうか。
 よく言われるように、もしも1960年代の闇が、黒い闇だったとすれば、現代の闇は白い闇である。その闇には死んだ記憶が漂っていて、それらを遠ざけようとすればするほど、闇はいよいよ白くピカピカと輝きをます。現代のマレビト=客人は、そんなどうしようもない白さにあらためて穴を穿ち、途方もない愛着を反転させることによって、「私達」の生と歴史の見えない基盤を、ざわめく触感として提示しようとしている他者に見える。

※劇評メールマガジン「wonderland」に掲載された拙文を参照されたい。
http://www.wonderlands.jp/index.php?itemid=1025&catid=3
また、『声紋都市』に関連して、1990年代から2000年代までを概観した文章として、現在はマレビトの会公式HPに掲載されている以下の文章もある。
http://www.marebito.org/news-voice-moriyama.html

森山直人(もりやま・なおと)
1968年生まれ。演劇批評家。京都造形芸術大学芸術学部舞台芸術学科准教授、舞台芸術研究センター主任研究員。『ユリイカ』(青土社)、『PT』(世田谷パブリックシアター)などに論文を多数寄稿する。主な論考に、「過渡期としての舞台空間 小劇場演劇における昭和30年代」(「舞台芸術」連載)他。

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