いつのことなのか。ある王国の王女が失踪し限りなく年月が経った。
彼女を探し求める侍女たちは、王女Aについての行き先を妄想するようになる。妄想は増殖してゆく。
昔大陸で死んだ王家の兵士たちもがよみがえるまでに。
「花嫁を焼き殺せ」という指令は一体誰から発せられたのか。
本当の亡霊とは何か。兵士の亡霊は誰によって企てられたのか。
亡霊の言葉にとりつかれた侍女たちが紡ぐ、宙づりになったまま、聞こえて来ない言葉———。


作・演出:松田正隆
出演:武田暁/田中遊/F・ジャパン/枡谷雄一郎/山口春美/山本麻貴
2005年7月/京都公演 会場:アトリエ劇研  2005年8月/東京公演 会場:こまばアゴラ劇場


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■「テアトロ」 2005年9月号 
劇評 『含意される語り手 7月の関西』より抜粋 評:太田耕人

演劇はその歴史的進展の中で語り物から抜け出し、語りの痕跡をそのテクストから消し去ることに腐心してきた。登場人物がそれぞれの人格を持ち、自然なやりとりを交わすのを規範としてきた。ところが先祖返りといおうか、現代劇のなかには語り手のすがたの伺えることがよくある。
 マレビトの会『王女A』(アトリエ劇研、7月2—10日)は、松田正隆がみずから演出した新作。即位を拒み失踪した王女Aのことを六人の侍女が語る、という設定だ。断片的な詩のようなせりふを俳優らが語りきり、通常の論理的脈略から解き放たれた言語空間を構築した。
 それぞれの侍女には固有の人格らしきものは看取できない。それもそのはず。ふつうの戯曲なら、せりふの冒頭にそれを語る役名が記してある。この戯曲にはそれがない。六人である必要もないのかもしれない。

(中略)

 深刻な問題を、作者はバーレスク化しているようにおもえる。おそらくこれが、作者にとってもっとも真摯な問題の差し出し方なのだ。木製の引出しを積み重ねたたかい列柱を、せまい舞台に十本も林立させた美術(奥村泰彦)が忘れがたい。傑作『島式振動器官』からこの作品は進化し、さらに実験的になった。正直いえば『島式』の段階のものをもう何作か観てみたい。


■シアターアーツ2005秋号
「江森盛夫の小劇場の現在」より抜粋 執筆:江森盛夫/2005年9月

王女Aは失踪したのか……、母、性、戦場、死、王国、殺人鬼マモンクタル、イメージは断続し、そのイメージの純度の濃さ、凝縮されたコトバが、きわめて具体的な所作伴って名付けようのない、耳目を吸引させる世界を創りだす。そして、王女Aをめぐる悲劇は、いまのJ国の王女を想起させ、引用された出征兵士の手紙の朗読が舞台を切迫させて、戦争に関わる現在を内包したイメージ群のインパクトだと承知させた。泰山名画を思わせるパフォーマンスの構図、抽出しの神秘、俳優のコトバの血肉化、松田の演劇世界の純化・到達点を感じさせる舞台だ。

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