声がやって来た。それを語る。ただ、やって来た声をそのつど語れば、それはまるでうわ言のようだ。語り始めたら最後、途切れることがない。まったく何を言ってるのかわからなくて、おそろしい。しかし、天国<パライゾ>(場所なき場所)からの伝言はきっとそんな風だ。くるおしい。
作・演出:松田正隆 出演:ごまのはえ/筒井加寿子
2006年5月/京都公演 会場:アトリエ劇研
[1][2][3][4][5][6][7][8][9][10] photo:東直子

中日新聞夕刊「安住恭子の舞台プリズム」 執筆:安住恭子/2008年4月12日(土)
京都のマレビトの会による「パライゾノート」は実に魅力的な舞台だった。役者がせりふを話すという演劇の基本を疑いつつ、人間と言葉について考えさせられたからだ。
(中略)
彼らのせりふは録音によって届けられる。二人の役者は時には声を出し時には口パクでそのせりふをなぞったりなぞらなかったりする。発話の主体はあいまいになる。また生の声だけで言おうとすると激しくつかえる。発話は容易ではない。
(中略)
時折差し挟まれる記念写真のようなポーズは、人は死に記憶だけが積み重なっていくということか。その生と死の連なりと発話の困難が重なったとき、言葉を発しようとする人間の根源的なありようを手渡されたように思えた。抽象的でナゾに満ちていた。だがあいまいではない。二人の役者が素晴らしく、根源に触れた確かな手触りはあった。
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