飛べない巨大な鳥の跳梁する港町。かつて貿易港として栄えた町も閉鎖され、住民らは怪鳥との共存を余儀なくされた。離島出身の犬男は鳥ハンターとなって生計をたてた。住民たちによる不気味な鳥の駆除は秘やかに行われていたのだ。幼馴染みと称する兄弟が、鳥の嘴に胸を刺し抜かれた瀕死の犬男のもとに訪れる。決して到達せぬ死の床で見た犬男の幻視体験。
作・演出:松田正隆 出演:武田暁/田中遊/F・ジャパン/枡谷雄一郎/山本麻貴
2004年5月/京都公演 会場:アトリエ劇研 2004年6月/東京公演 会場:こまばアゴラ劇場
[1][2][3][4][5] photo:青木司

「テアトロ」 2004年7月号
劇評 『完成を拒むドラマツルギー 5月の関西』より抜粋 評:太田耕人
松田正隆が自作を演出し上演するために作ったマレビトの会が、『島式振動器官』(京都・アトリエ劇研、5月1ー9日)で、独特の幻想世界を差し出した。ほの暗い舞台に木製のウィンチ。そこから太いロープが天井にのびる。
これで舞台奥の吊り窓を昇降させる想定だ(舞台・奥村泰彦)。
(中略)
幕切れで、ミカに去られた犬男は孤独にもどる。砂男と自分を二重移しにし、少年期を述懐する犬男。背後で、他の人物は奥の窓枠のむこうに立ち、汽車に乗っているようにみえる。カフカ『アメリカ』の末尾をおもわす設定に、ダンテの『神曲』の引用が加わり、煉獄行きらしい列車は疾走してゆく。
いかなる対象も指示せぬように、作者はあらゆる因果律を断ち切り、真空状態をつくろうとする。こうした例はカフカやジョイムズ・ジョイスなど現代小説にはあるが、演劇ではあまり試みられてこなかったようにおもう。
その理由はある程度、推測できる。日常的な論理をいっさい無効にしようとしても、俳優の身体は触知できる存在として、あくまでそこに現前してしまう。さらに理解可能なことばを使うかぎり、つねに通常の論理的脈略がまとわりついてくるから、理解不能なことばを紡ぎだす必要がある。ページの上よりも、ステージの上で意味不明のことばを発し続けることが、いっそう厳しいであろうことは、想像がつく。そこで作者は俳優になるべく無機質な演技をさせ、『フィネガンズ・ウエイク』の奇怪な言葉よろしく、カクレキリシタンのオラショを導入した。さらに引用を散りばめてテクストを拡散させ、詩的な響きさえ生み出した。
きわめて実験的な試みとはいえ、この作品にひどくわたしは魅了された。『雲母坂』や『沈黙と光』などの松田の世界が、その基盤として据えられていたことが、これほど奔放に破綻しながら、観客の注意を繋ぎとめられた理由ではないかとおもう。その意図的な未完成の切断面に、わたしの想像力は、なにやら不思議なとっかかりをみつけたようだ。
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