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「ヒロシマ—ナガサキ シリーズ」(2009年より)について
Hiroshima / Nagasaki  記憶の声の分有   松田正隆(マレビトの会 代表)


ヒロシマの廃墟の記憶の象徴として、今も原爆ドームは広島の都市に立ち続けている。
 その外壁にさえ触れることはできず、居住することもできず、建築物としての機能性を全く持たず、ただただ、ヒロシマの悲惨を記憶し、礼拝するべきものとして、それは広島にある。
 都市の景観の中で、違和感の権化のようなこの建築物が、ある意味、おさまりどころを得たかのように調和している。原爆ドームだけが、ヒロシマの原爆を記憶し背負い、ひとまず原爆ドームさえ当時のことを思いおこさせてくれる象徴であれば、今の広島はあのヒロシマとともに現在を生き続けられるのだ、というようにも思える。つまり、私たち(生きている側の人間)は、あのヒロシマを平和記念公園の中で管理し、その区画から外へ出ないように封じ込めているのである。都合の良いときに絵葉書でも見るように、そこに見にゆけるように、記憶は記念碑となって私たちを待っている。
 広島に何度か訪れるようになって、そのようなことを感じるようになった。
 記念碑(あるいは、また、平和記念式典)は、忘れっぽい私たちのための免罪符である。思い出させると同時に、忘れることを許してもいる。
 今年から、私は舞台作品において、ヒロシマ・ナガサキという二つの被爆都市をテーマにしたいと考えている。
 唯一の被爆国という言い方をするたびに、そしてまた原爆投下が被害者の側からのみ語られるたびに、都市の一画におさめられていたこれらのモニュメントが、「私たち日本人」のために動員されてきた。
 そのようなあり方では、「私たちの記憶」から排除された記憶の声を聞きとることはできないのではないか。私たちの言葉では理解できない記憶の声が、現在の広島と長崎にはあるのではないか。爆心地とその周辺のみに、それらの声を封印してはならない。そこには二重写しのように、私たちにとっての異邦の声がみえるはずなのだ。
 その声を聞くことができれば。

 その声を聞きとろうとすることから、私は、これからこの演劇活動を始めようと思う。そして、それを劇場空間の中で響かせることができればと思う。それが、私の願いであり、私に与えられた使命であると信じている。