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マレビトの会を振り返る vol.2

  • ポッドキャスト

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犬飼:
「マレビトの会ポッドキャスト、進行させていただく犬飼勝哉(いぬかい・かつや)です。そして、マレビトの会代表の松田正隆(まつだ・まさたか)さんです。」

松田:
「はい。こんにちは。よろしくお願いします。 」

犬飼:
「マレビトの会で俳優として次回作に出演される西山真来(にしやま・まき)さんです。」

西山:
「西山です。よろしくお願いします。 」

犬飼:
「そして、マレビトの会で劇作や制作などを担当されている三宅一平(みやけ・いっぺい)さんです。」

三宅:
「はい。よろしくお願いします。」

犬飼:
「今回は僕を含めてこの4名でお話させていただきます。〈マレビトの会を振り返る〉と題しまして、数回に分けてマレビトの会のこれまでの活動や公演のお話をお聞きしています。
今回は第2回目ということで、前回、マレビトの会の設立の話と第1回公演の『島式振動器官』のお話をお聞きしまして、今回はその続きということになります。」

『蜻蛉』(2004年・2005年 上演)について

犬飼:
「第2回公演が『蜻蛉(かげろう)』という作品。2004年の9月に京都のアトリエ劇研で上演されているのと、2005年に京都府立文化芸術会館で上演されています。これ(京都府立文化芸術会館での上演)が新京都芸術大賞の参加作品ということになっています。この作品は再演なんですよね? 」

松田:
「うん。」

犬飼:
「僕の手元にある情報によると、太陽族(劇団太陽族)という大阪(関西)の劇団がありまして、その団体で上演するように松田さんが書かれた戯曲、」

松田:
「いや、」

犬飼:
「違う?」

松田:
「岩崎(正裕)さんが演出した、なにか企画モノがあって、そこに向けて書きましたね。」

犬飼:
「では太陽族とは関係ないんですね。岩崎(正裕)さんというのは、太陽族の作・演出の方なんですけど、劇団に書いたというよりかは、」

松田:
「岩崎さんのなにかプロデュース作品かなんかがあって、」

犬飼:
「なるほど。その作品をマレビトの会として再演する、というのはどういう経緯があったんですか?」

松田:
「経緯は覚えてないですね、もう。なんかやるっていう感じだった。」 

犬飼:
「いろいろな戯曲があるなかでこれをチョイスして?」

松田:
「そうね。まあでも、これはうまく書けたなとは思ってたんじゃないかな。」

犬飼:
「ネットに上がっている劇評では、初演ではリアルな現代風の演劇だったのが、ちょっと能っぽくなっていたみたいなお話が書かれていたんですよ。」

松田:
「そうなんですね。そうかもね。」

犬飼:
「もともと〈蜻蛉〉っていうのが、なんでしたっけ、源氏物語の? 」

松田:
「そんなんじゃないですよ。姉妹の話だったと思うけど。なんで蜻蛉にしたのか、ちょっと覚えてないんだけど、」 

西山:
「全員ふわっとした感じに、」

松田:
「でも岩崎さんに向けて書いた時のプロデュース公演が、近松創造劇場(「あまがさき近松創造劇場」という企画シリーズ)で、ちょっと本当に申し訳ないんですけど、覚えてないんですけど、資料を当たれば出てくるかもしれないですけど。
だから、そういう古典的な、近松門左衛門とは関係ないと思うんだけど。蜻蛉って。」

犬飼:
「古典的なモノを題材に現代劇を書いたということ?」

松田:
「ということだったような気もしますが、どんな話だったかな。」

犬飼: 
「(合図に気づいて)何か情報を得たということで。 三宅さんが。」

三宅:
「あの、99年に初演なわけですよね。『蜻蛉』が。」 

松田:
「それでなんて書いてある?」

三宅:
「毎日新聞の2004年9月10日の(大阪)夕刊なんですけど、99年に初演した作品を新たに松田さんが演出するって書いてあるんですけど、99年に作った作品と、新たに演出した作品というのは、戯曲は違うんでしょうか?」

松田:
「全く同じテキストだったと思う。」 

三宅:
「(2005年2月2日の毎日新聞・京都版の)記事には「練り上げた作品」だと書いてあったんですけど。」

松田:
「あんまり練り上げた覚えないけど。」

三宅:
「じゃあ基本的にはテキストは一緒で、演出を松田さんがやられたっていうことですかね。」

犬飼: 
「まあ、それが練り上がった、っていうことなんですかね。戯曲自体は変えてはない?」

松田:
「と思いますけどね。」

犬飼:
「変えてる可能性もあると。」

松田:
「うん、変えたかもしれないですけど、」

犬飼:
「2回やってるんですよ。アトリエ劇研でやった後に、ちょっと広い劇場ですね。京都府の文化芸術会館 。これはどうだったんですか?」 

松田: 
「なんかあんまり。酷評された覚えがあるな。」 

三宅:
「どういう風に酷評された?」

松田:
「いや、なんだろう。なんか僕、授賞式の時にいなかったんですよね。仕事があって。でもなんか、あまりいい結果じゃなかったみたいな。それってコンペティションなのかな?」

犬飼:
「新京都芸術大賞という賞。 こういうのがあった記憶があるんですよね、この時期に。」

松田:
「まあ、それには参加はしたんでしょうけどね。」

犬飼:
「金賞受賞作品って書いてありますよ。」

松田:
「あ、そう?」

西山:
「なんか私もそういう記憶ありますよ。」

犬飼:
「金賞って一番良いんじゃないんですか? 金賞受賞って書いてあります、僕の手元の資料が間違ってなければ。」

松田:
「覚えてないんですよ。その授賞式にもいなかったと思うんですよ。どうしても仕事があって。」

犬飼:
「受賞式に参加されているってことは、賞を取ってる?」

西山:
「確かに。そうなんじゃない?」

松田:
「いや、そうかな。誰もが金賞なんじゃないの?違うかな。」 

三宅:
「(資料を見ながら)いちおう3団体が選ばれていて、遊劇体と、ニットキャップシアターと、マレビトの会がノミネートされてます。大賞のほか、演技賞、スタッフ賞、観客賞が贈られたそうなんですが、」

松田:
「大賞はどこが?」

三宅:
「それはちょっとすみません、調べが足りなくて。」

松田:
「さっきからあれだよね。情報がなんか、」

犬飼:
「この辺の情報ってやっぱりなかなか手に入れにくいんですよね。僕もひと通り調べたんですけど、わからないことも多くて。だから松田さんの記憶頼りに、」 

松田:
「証言者みたいな。うん。」

西山:
「もうね、20年前、」

犬飼:
「だから第2回(公演)として、松田さんがかつて書かれた戯曲を、マレビトの会としてやるっていう機会があったということですね。」

松田:
「はい。うん。 」

犬飼:
「これはまあ、このぐらいにしておきます?またなにか思い出したら教えていただけたらと思うんですけど。」

松田:
「はい、まあそうですね。」 

『王女A』(2005年初演)について

犬飼:
「この次の作品が『王女A』。2005年7月に京都のアトリエ劇研と、2005年8月に東京のこまばアゴラ劇場。こちらの作品は覚えてらっしゃいますかね?」

松田 :
「はい。これはよく覚えてますけど。」

犬飼:
「どういった作品だったんですか?」

松田:
「覚えてるけど、そうですね。これ東京でもやったんですよね?アゴラ(こまばアゴラ劇場)に行った?」

犬飼:
「やってらっしゃいますね。ちなみに西山さんが劇場で見ているということで 、」

西山:
「見ました。」

犬飼:
「どういう作品かを西山さんから聞けるということですね。」

西山:
「「王女A」(というセリフ)を何回も言うんですけど、みんなが「オウ・ジョ・エー」って言ってたのをすごい覚えてて。
発話が不思議で、こんな発話の、大人の演劇あるんだってめっちゃ思ったのと。あの発話って、えづくようなっていうか、あの頃はあのような感じだったんですか。」

松田:
「そうね。なんかでも、フィジカルな発話でしたね。」

犬飼:
「発話というのに、こだわりや問題意識があったんですかね?この頃は。」

松田:
「なんかあったんでしょうね、やっぱり。うん。」

犬飼:
「いわゆる現代演劇風のセリフの言い回しから、少し散文的というか、会話ではないセリフみたいなものが多かったというか、そういうモノをされてたんですか?」

松田:
「あれは、ほとんど誰が(どの俳優が)何を読むかわからないテキストでしたね、そういう意味で。イメージのまま。いったん書いちゃって。テキストが残ってるのかな、わかんないですけど、」

三宅:
「ありますあります。」

犬飼:
「どこにあるんですか?今は。」

三宅:
「一応、マレビトの会で取り扱いがあります。」

松田:
「全体的に詩みたいに書いていって、最後まで書いて。あとは現場で。演出プランの時に俳優さんに当てていくわけですけど。現場でもいろいろやりながら、いろいろなイメージを組み合わせながら、作っていったと思います。モチーフにあるのは、愛子さん、」

犬飼:
「愛子さん?愛子さま?」

松田:
「「A」っていうのは天皇家の愛子さんを探す話、王女を探す話。なんか(お話の中で王女Aが)いなくなっちゃって。 」

犬飼:
「この「A」って、アンティゴネだと思ったんですけど、」 

松田:
「いえいえ、愛子さんです。」

犬飼:
「愛子さまの「A」だったんですね。」

松田:
「皇室の愛子さんがいなくなって、侍女たちが愛子さんを探すみたいな。うろたえて、気が狂っちゃうみたいな。そういうイメージを持って書きましたね。」

犬飼:
「ああ、じゃあ登場人物たちはその侍女たちという、」

松田:
「そうです。〈侍女たち〉っていう絵画がありますけど。レンブラントだったっけ? 」

犬飼:
「僕はちょっとわからないですね。」

三宅:
「ベラスケス?」

松田:
「ベラスケスだ。スペインの画家。ベラスケスの作品に〈侍女たち〉ってあるかな(『宮廷の侍女たち』)。あとはゴヤの絵とかね、黒い画集(「黒い絵」シリーズ)とかっていうような。そういう絵画のイメージが。(『宮廷の侍女たち』の画像を見て)ああ、そうですね。」

犬飼:
「いま三宅さんが絵を見せてくれてます。」

松田:
「その絵のイメージから始めていきましたね。」

松田:
「〈王女A〉がいないけど、〈王女A〉の役割を誰かがやったりとか。ジュネの『女中たち』とか、いま思えばそういうあれ(イメージ)もあるかもしれない。役割をどんどん変わっていくっていうか、〈王女A〉ごっこをしていくっていうような。侍女たちが。(王女Aが)いないから。そのうちに日本の兵士になったり、というようなイメージもあったり。」

犬飼:
「これはマレビトの会の作品、第1回第2回第3回という流れの中で、問題意識みたいなものが変わっていって、こういう作品が生まれた?」

松田:
「うん、そうですね。あと舞台美術の奥村泰彦さん。MONOの俳優さんでもあるけど。『島式(振動器官)』の時もそうだけど、彼に頼んで、彼と一緒につくっていった感じもしますね。」

犬飼: 
「じゃあ舞台美術がかなり大きなファクターだったんですね。」

松田:
「大きかったですね。後ろに引き出しをいっぱい作って、そこから電球が上にあがっていくように作った、というのがあったね。」

犬飼:
「なるほど。舞台美術が大きなファクターになっているって、今のマレビトの会の作品を観ている人からすると、ちょっと意外なイメージですよね。」

松田:
「そういう幻想的な、俳優の身体もこわばっていて、というイメージは、この間も言ったけど、ポーランドの前衛演劇みたいな、そういうイメージがあったのかもなと、今思えば。」

犬飼:
「日本が舞台になっているというよりかは、どこの国かわからないような?」

松田:
「そうですね、異国、異国情緒って言わないな、なんて言うんだろう。」

犬飼:
「無国籍な?」

松田:
「無国籍な感じだけど、とは言え、少しおどろおどろしいようなイメージはあったかもしれないですけどね。」

犬飼:
「なんとなくマレビトの会って、僕が京都で演劇を観ていた頃は、いま松田さんの言った、おどろおどろしさみたいなイメージを感じていました。怖いのかな?みたいなふうに思ってました。」

松田:
「それはちょっと、距離を置きたいって感じですよね。」

犬飼:
「見に行くのに勇気がいるな、みたいな。」

松田:
「じゃあ、この辺は観てないわけですね。」

犬飼:
「そうですね。僕が大学2年生ぐらいなんですけど、」

松田:
「距離を取りたかったわけですね。」

犬飼:
「いろいろ観てみたいなと思いつつ、観に行く勇気がないなあと思いながらいたのかもしれないですね。」

犬飼:
「この作品も、出演者の方もおなじみのメンバーという感じですね。前回話した、桝谷さんのお名前があって、」

松田:
「牛尾(千聖)さんとか、山口春美さんとか。」

犬飼:
「牛尾さんは出てるのかな?」

松田:
「出てない?あ、出てないか。」

西山:
「演助(演出助手)かな?」

犬飼:
「前回の作品『蜻蛉』には、牛尾さんの名前がありますね。
両方ともF.ジャパンさんの名前はあります。田中遊さんが王女をやっているみたいな噂を聞いたことがなんかありました、」

西山:
「みんなやってる。」

犬飼:
「田中遊さんがやってるというよりかも、皆さんがやってたんですね。僕の勘違いでした。」

松田:
「衣装はみんな喪服だったもんね。スカート履いてましたね。」

西山:
「スカート履いてましたね。すごい状態でした。なんかこう(ジェスチャーで)、」

犬飼:
「痙攣して?」

松田:
「痙攣してるんですか。」

西山:
「大変なことが起きてるんだ、っていう感じの状態で、みんな舞台上にいました。」

三宅:
「この公演はツアーをしてるんですかね。京都のアトリエ劇研の専属劇団として3回目の上演で、それを東京のこまばアゴラ劇場でもやったっていうことですけど、」

松田:
「『島式(振動器官)』もやってますよね。」

犬飼:
「この流れが最初の頃の流れですね。京都と東京でやって。アトリエ劇研とこまばアゴラ劇場で。(劇場の)サイズ感も同じぐらいですもんね。」

松田:
「そうですね。」

三宅:
「それは何か理由があったんですか?」

松田:
「やっぱり、ツアーまでやろうっていう。ツアー込みで東京もやろうっていうことですね。京都でつくって、東京でもやるっていうか。」

犬飼:
「それがルーティンワークというか?」

松田:
「そう。そういうふうに1年に1回はやっていこう、ということでした。」

『パライゾノート』(2006年初演)について

犬飼:
「この次の作品が『パライゾノート』っていう、」

松田:
「『パライゾノート』。」

犬飼:
「2006年5月が初演で、その後2007年、2008年と、岡山の月の舞台、名古屋の七ツ寺共同スタジオ、というふうに上演しているんですけど。これは出演者が2人で、(各地を)回りやすいような形態で、そのようなモビリティみたいな意味があったりするのかもしれないですけど、」

犬飼:
「この作品は、初めて僕がマレビトの会を観た作品になるんですよね。」

松田:
「ああ、そうですか。まず印象から言ってください。率直に言ってくださいね。」

犬飼:
「そうですね、声が違うところから出てましたよね。
2人出演者がいて、ごまのはえさんと筒井加寿子さんという、京都ではお馴染みの人なんですけど、」

松田:
「ちょっと音響的に凝ったと思う。」

犬飼:
「その2人が舞台上で痙攣をしているような動きをしていて、声も痙攣しているような状態になっている中で、セリフは上から聞こえてくる。
上っていうのはアトリエ劇研って、操作卓とかが上にあったと思うんですけど、そこにスピーカーがあって、スピーカーから声が出ていて、演者が(観客の)前にいて、演者も(声を)発していたのかもしれないですけど、」

松田:
「スピーカーも(舞台上に)見せてたと思うね。 スタンドを立てて。その事が重要だったような気がする。」

犬飼:
「俳優が立っている背後にスピーカーが立っていて、そのスピーカーから、セリフというか、声が流れてたっていうような状態なんですかね。
あのー、難解だなって思った記憶がありました。何か大切なことがやられているんだろうなと思って、分かりたいなって思った記憶がありますね。それが僕の感想です。」

松田:
「はい、ありがとうございます。」

犬飼:
「ちなみに西山さんも観て、」

西山:
「観ました。はい。」

犬飼:
「西山さんの率直な感想も聞いといた方がいいですよね。」

松田:
「そうですね。」

西山:
「『王女A』の時は、脳みそ破裂しそうって思いながら帰ったんですけど、『パライゾノート』の方が分かりやすかったです。
シンプル?『王女A』は空間全体に複雑なことがずっと濃密にあるって感じで、すごい脳みそ疲れる感じで帰ったんですけど、『パライゾノート』は人(出演者)が少ないのもあって、シンプルな空間に、棒みたいに人間が居て、そこから細かなものも出てくるし、構成がかっこいいみたいな。受け取りやすいようなイメージ。」

犬飼:
「確かにミニマルな印象があって。
それは今のマレビトの会の『長崎を上演する』『福島を上演する』を経て、ミニマルという、そのような印象を(マレビトの会に)持っている方も多いと思うんですけど、僕が初めて観たマレビトの会にも共通していて、ミニマルだなって、要素が少ないなっていう印象はあったんですよね。
『王女A』はもっとそれが多かったみたいな意味合いですか?」

西山:
「多かった。衣装とかも時代(設定)とか、何かわからないけど〈なにか〉みたいな世界観があって、電気とかも豆球みたいなのが点いたり消えたりみたいな。
空間もだし、(舞台美術として配置された)引き出しも結構細いような、つまんで出すみたいなのを、みんながそれを、なんかジタバタしながら居る、みたいな、すごい情報量だった印象。」

犬飼:
「なるほど。舞台美術が重要なファクターだったという話がさっきあったと思うんですけど、今回(『パライゾノート』)は違うところから?」

松田:
「『パライゾノート』は僕がやったんじゃないかな、(舞台)美術。だからスピーカーだけ置いて、あとは俳優で。
それで、ブレッソンの『少女ムシェット』の少女が出てくるっていう。
映画監督のロベール・ブレッソンの『少女ムシェット』っていう映画があるんですけど、その中の不幸な少女が登場人物として出てくる。
で、なんかコブ、声、あれ、どういうイメージかな。「せむしの男(※作品の中の表現)」が声を、コブから声がするみたいな。ちょっと待って、覚えてないんですけど、なんかそういう。
でもテキストは、砂連尾(理)さんが寺田みさこさんと2人で、やってたんですけど、デュオみたいな、」

犬飼:
「ダンサーの砂連尾さんですね。」

松田:
「うん、砂連尾理さんが僕にオファーしてきて、なんかテキストを書いてくれって。それに応答して書いた作品を、僕なりに演出した、演劇として(自分が)作品をつくってもいいことを条件にして書いたんですけどね。」

犬飼:
「依頼されて書いたテキストを使って『パライゾノート』という作品が(つくられた)。「パライゾノート」というタイトルだったんですか。そのテキスト(自体)が。」

松田:
「「パライゾノート」でした。はい。テキストが。」

犬飼:
「『パライゾノート』というの(上演)を砂連尾さんと寺田さんのカンパニーでやるし、松田さん自身もやるし、という上演形態だったんですね。
パライゾっていうのは?」

松田:
「天国っていう意味だけど。」

犬飼:
「松田さんの隠れキリシタンの話によく出てくる。何て言うんでしたっけ。オラショ? の中に出てくる?」

松田:
「オラショね。オラショの中に出てくるのかもしれない。」

犬飼:
「パラダイスみたいなことですよね。天国。語源が。」

松田:
「死の国でしょうね。」

犬飼:
「そういったテキストなんですか?」

松田:
「うん、声がどこかからどこかに、コブから聞こえる。というイメージがあったな。
声の分離みたいなモノは、身体と声、動きと声とか、不可分なんだけど分離しているみたいなイメージがあったし。写真の中の〈少女〉とか、映画の中の〈少女〉とか〈女性〉とか、っていう〈主人公〉。そういうイメージの問題、イメージっていうか、ビジュアルの問題と声の問題が、作品なりに統合されてないで、作品の中で再度、総合されるっていうか。
元から演劇って統合されているものとして、身体と感情と演技って、しっかりとある道筋をもって描かれるのがリアリティだと思われているとしたら、もうちょっと分解したかったっていうか。」

犬飼:
「はいはい。」

松田:
「どんどん要素を分解していって、再編集していくようなことを、ずっとやってたんだなと思うんですけどね。設立当初から。
その一環の中で、声と身体を分離するみたいなところがあったから。特に意識しましたね。」

犬飼:
「声の問題意識っていうのは、当日のパンフレットだったり、フライヤーだったりに、何かそういった文章が載っていたような記憶があって。声に着目しているんだなという印象はあったんですけど。
いま言った松田さんのお話っていうのは、演劇っていうのが、何かを演じる、何か場面を再現することの〈できなさ〉というか、〈演じられなさ〉というか、そういったものみたいな?
いま僕の頭の中を整理させながら喋っているんですけど。そういうようなことに関わる問題として、声に着目されていた、みたいなことなんですか?」

松田:
「…はい。」

犬飼:
「(違う?)」

三宅:
「すいません、また当時の新聞になるんですけど、
2008年3月7日の朝日新聞の夕刊で、松田さんの当時の記事の、インタビューみたいなものに答えているお話なんですけど。
「松田は〈パライゾ〉の題名通りに、天国に充満しているような声を舞台上で反映させたい」。先ほども言ったように声の問題ですね。「超がつくほど個性的な俳優2人が繰り広げる」「見世物としても面白い演劇を目指した」と書いてあって。
面白いと思うのは、声という、ある種では聞こえない声であったり、見えない声というものを、あえて見世物という、見えるものとして表現しようとしていたというのが面白いと思うんですけど。
当時を振り返って、見世物の問題と声の問題ってどういうふうに考えてたのかなっていうのはちょっと気になるんですけど。」

松田:
「まあ、さっきしゃべったようなことだけどな。」

西山:
「思い出したのは、私がいま喋ってるのは、私が考えて喋ったことに一応なってるんですけど、そうじゃないかもしれないと考えたのを思い出しました。
『パライゾ(ノート)』(を観た時)かはわかんないけど、どこかからやってきて喋ってるかみたいな、身体と〈何か〉みたいなものの交点が、たまたま私っていうだけでみたいな。ちょっとうまく言えないんですけど、これはどこから来るのかって言ったら、必ずしも自分の中から出てきてるわけじゃないんだ、みたいな世界のことを考えて。
当時はすごい若かったし、劇作とかしてたので、人が集まって観る〈演劇〉という装置でできることは、一つの世界だけのことじゃなくて、2個3個と層が重なったことをやったほうがかっこいいぞって思ったのを、すごい覚えてますね。」

犬飼:
「ラジオみたいなことですか。どこかに流れている電波を受信して音を出す。そのような機械のように俳優がなっているように見えた、みたいな事ですか?」

西山:
「確かに普通に喋ってても、いま〈私、悲しいから〉みたいな時にも、アリが這ってたら潰しちゃったりする人いるじゃないですか。
ちょっと変な例ですけど、急に出てくる〈不気味な一瞬〉を考えたりしました。」

犬飼:
「はい。アリが(喩えとして)ちょっと難しい、」

西山:
「喩え自体が急だった。アリの話、ちょっと補足していいですか?」

犬飼:
「お願いします。」

西山:
「なんでアリの話をしたかっていうと、お葬式の時に、喪主の人が、喪主になる関係性の人だから、めちゃくちゃ悲しいというか、そういう状態じゃないですか。
そんな気持ちなのに、お坊さんの話を聞いてる時に、大きいアリが這ってるのを見て、思わず潰したっていう瞬間を目の当たりにした時に、すごいなんか、わーって思ったっていうか。
人間って全部の線が常に両立してるもんな、みたいな。いろんなことが並走してるって思って。」

犬飼:
「はいはい。」

西山:
「意味わかりました?」

犬飼:
「なんとなく。」

西山:
「あ、じゃあここはぜひカットしてください。」

犬飼:
「『パライゾノート』に関しての松田さんの演出ノートという文章が出てきたんですけど、これを最後に読み上げてみてもいいですか。
〈声と人間の関係は何とは何か。舞台上において俳優が声を出すというのは、声が俳優に寄生しているように思えてならない。それなのに俳優が声をあたかも自らの声のように発語することに欺瞞を感じていた。それならば、声と人物の乖離を舞台作品の主題にしようと思った。
そして、書かれた言葉を声にする演劇の行為は、私たちの現実世界における声と人間の関係を問い直すきっかけになるようにも思える。そもそも私のこの声は一体どこからやってきたのだろう。私の中に潜む他人性に働きかけることで、私自身の声がうわ言のように聞こえてくるのではないか。おそらく死者の声とはそのようなものに相違ない。松田正隆〉
って書いてあります。」

松田:
「ええ、」

犬飼:
「なるほど。なんかわかった気がします。」

松田:
「みんなで納得しちゃって。それでいいのか。」

犬飼:
「つまり、誰かに喋らされている、現実世界でも誰かに喋らされているようなこともあり得る、その声っていうのは、本当に自分の声なのかどうかというのを、舞台作品にすることによって、問いを立ち上げたということですかね。」

松田:
「…そうですね。」

西山:
「なるほど。」

犬飼:
「ちなみに、あらすじもありました。」

松田:
「うん。」

犬飼:
「〈背中にコブを持った男と赤ん坊を背負った女。コブからは声が出る。声はかつての男の妻らしく、その妻は自分がどんどん遠ざかっているのだと語るが、その声は男のコブから聞こえ続け、離れることはない。
赤ん坊を背負った女は赤ん坊を売って病気の母の牛乳代にしようとしているが、赤ん坊など売れるわけはなく、また男の前に戻ってくる。
声と赤ん坊を捨て去ることもできず、つきまとわれる男と女。とりとめもなく語り続ける声と、決して泣くことなく沈黙し続ける赤ん坊。さらに唐突に男と女に憑依する様々な小説や映画の登場人物たちが交錯する。〉」

西山:
「すごい話。」

松田:
「いいですね。そういう作品つくってみたいね。」

犬飼:
「作ったんです。」

西山:
「すごい面白そうだった。」

犬飼:
「コブからの声は妻の声だったんですね。死者の声。」

松田:
「『惑星ソラリス』のイメージもあったんかな。タルコフスキーの映画にあるけど。」

犬飼 
「星が考え続けているみたいな、」

松田:
「そうね。そうそう 」

犬飼:
「そのコブっていうのがソラリス、みたいなイメージ?」

松田:
「引用してたのかもね。それは。」

三宅:
「参考引用文献の記録が残っていて、ロラン・バルト『明るい部屋』、ジョルジュ・バタイユ『死者』と、ヒューズ『呪術―魔女と異端の歴史』、」

松田:
「はいはいはい。」

三宅:
「スタニスワフ・レム『ソラリスの陽のもとに』と、タルコフスキーの『惑星ソラリス』。 あと先ほどおっしゃってたブレッソンの『少女ムシェット』が引用文献・映画で挙げられてます。」

松田:
「そうですか。」

犬飼:
「なかなか難しいなと思った観劇体験でした。当時。でも難しいって別に悪いことじゃないですもんね。」

松田:
「なんかあれだよね。難しいね。難しい文献。文献を並べりゃいいってものじゃ。高尚な感じ?」

犬飼:
「高尚さはちょっとすごい感じましたね。」

松田:
「それが犬飼さんを遠ざけていた理由かもね。」

犬飼:
「でも、ここから近づいたわけですからね。」

松田:
「そうですか。うん。」

犬飼:
「という、『蜻蛉』『王女A』『パライゾノート』という片鱗だけわかった感じがしましたね。」

松田:
「今日これで終わりなの?もうないんだっけ?」

西山:
「この回はこの3つで、」

犬飼:
「この回はこの3つです。この次が『アウトダフェ』という作品になりますね。よろしくお願いします。」

松田:
「『アウトダフェ』。」

犬飼:
「ということで、あの第2回〈マレビトの会を振り返る〉。どうもありがとうございました。」


マレビトの会 新作公演

皿の上の見えない人間 OGP画像

『皿の上の見えない人間 Invisible woman on the plate』

日程|2026年3月19日(木)〜 22日(日)
会場|SCOOL(東京・三鷹)

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