マレビトの会を振り返る vol.8
- ポッドキャスト
以下、テキスト起こしです。
犬飼:
「〈マレビトの会のポッドキャスト〉進行させていただきます、犬飼勝哉(いぬかい・かつや)です。そしてマレビトの会の代表を松田正隆(まつだ・まさたか)さんです。よろしくお願いします。」
松田:
「よろしくお願いします。」
犬飼:
「マレビトの会に俳優として出演されています、生実慧(いくざね・さとし)さんです。よろしくお願いします。」
生実:
「よろしくお願いします。 」
犬飼:
「同じくマレビトの会に俳優として出演されています、西山真来(にしやま・まき)さんです。よろしくお願いします。
西山:
「よろしくお願いします。」
犬飼:
「そして、マレビトの会で劇作や制作などを担当されています、三宅一平(みやけ・いっぺい)さんです。よろしくお願いします。」
三宅:
よろしくお願いします。
犬飼:
「僕を含めて5名でやらさせていただいてます、〈マレビトの会を振り返る〉と題しまして、マレビトの会のこれまでの活動や公演のお話をお聞きしております。
マレビトの会は8年ぶりの新作公演『皿の上の見えない人間 Invisible woman on the plate』を2026年3月に上演予定です。新作公演に向けて、マレビトの会のこれまでの公演を振り返っています。」
犬飼:
「前回は『アンティゴネーへの旅の記録とその上演』という作品のお話をお聞きしました。今回はその続き、『長崎を上演する』というシリーズのお話をさせていただきます。」
『長崎を上演する』(2013年〜2015年)

犬飼:
「だんだん現代に近づいてきたんですけど、『長崎を上演する』シリーズが、上演会・総集編・愛知公演という形で、何回か上演されているんですけど、第1回が2013年の9月、立教大学の新座キャンパスで上演がされています。
このシリーズは、この後に『福島を上演する』というシリーズがありまして、上演形式としては引き続きなされているもので、今のマレビトの会の上演形式というか、今の活動に直接的に引き続いていると思うんですけども。」
松田:
「はい。」
犬飼:
「なので、このシリーズが始まった経緯を深掘りしたいと思っているんですけど、こちらの公演はどういった経緯でこういう形式を取ろうとしたのでしょうか。
〈こういう形式〉と表現したのは、『長崎を上演する』シリーズは、劇作をされている方が複数人いる。劇作をする人が実際に長崎を訪れて、見聞きしたものをもとに戯曲を書く。そして上演する。これまでは俳優が〈報告者〉として作品の中身に関して、発表物にも関わる形だったのが、劇作家が取材して、都市に訪れて、舞台上で上演する。」

松田:
「はい。」
犬飼:
「そして、ある意味スケッチ的というか、戯曲も短いものもあったりとか、そういう中で、上演されていくスタイルなんですけれども、こういったものに変わっていったポイントはどういったところなんですか?」
松田:
「そうですね。僕が東京に移住しまして、立教大学の映像身体学科というところで教えるようになって、ロフト1っていうところがあるんですよ。教室なんですけど、いわゆる劇場ですね。劇場スタイルの平土間があって、」

犬飼:
「客席があって、」
松田:
「でも客席が収納されるので、大きな平土間になるんですよ。」
犬飼:
「なるほど。」
松田:
「そこで学生たちと作品をつくる時に、最初、前回の『アンティゴネー』とか、ソフォクレスとか。ギリシャ悲劇を最初にやったんですよ。その時のスタイルというか、ギリシャ劇をやる時に、あまり舞台セットもつくらないで、学生たちと一緒に作品をつくっていった感じだったんですね。」
犬飼:
「はい。」
松田:
「だからロフト1という上演空間をどういうふうに使うかっていうことと、映像身体学科という学科が、前任者が鈴木理恵子さんという太田(省吾)さんのところにいた人だったし、舞台装置をつくって、という感じの作品をつくっているわけでもなかったんですよね。
そこに僕が、でも最初になぜかギリシャ悲劇やろうと思って、というのがまず一つね。」
犬飼:
「はい。」
松田:
「その劇場に合わせるように、一番いい、ある意味コスパが良く、14回ぐらいの授業で、1回90分あって、最終的に抜粋の『アンティゴネー』か、『コロノスのオイディプス』だったかな。『アンティゴネー』もやったかな。そういう意味では『アンティゴネー』をちゃんとやろうと思って。」
犬飼:
「前回公演でとりあげた、」
松田:
「その場所に合わせた演出をつくったらあんな感じ(になった)。
もう一個は、前のプロジェクトの『アンティゴネーへの旅の記録とその上演』が、あまりにも分離していったっていうか、バラバラになっていったので。上演の現場に観客がいなかったり、それを想起する人を観客が観たりとか、ほとんど表象的に統合した物語として示せない。それで荒木優光さんの音響の空間は他にあったりとか、バラバラなんですよ。」

松田:
「バラバラにしすぎちゃって、行き過ぎちゃったなと思ったので、もう少しまとめようと。もうちょっと統合したものをもう1回つくろうと。
あるいは、ポストドラマ的な演劇みたいなものを数年、私たちなりに試みてきたわけですけど、そうじゃなくて、ポストの前にドラマがあるだろうと思って、ドラマ演劇をもう1回考え直そうというところがありましたね。」
犬飼:
「松田さんが書かれた文章で、〈ドラマ演劇を再検討する〉という言葉があったんですけど、つまり、戯曲に立ち戻るというか。」
松田:
「そうですね。戯曲を書いて、それを演出して、上演空間に戯曲上の場所を立ち上げる、という。演劇の一番スリリングなことをもう一回考え直そうっていう。そこに魅力を感じるようになったというか。」
犬飼:
「なるほど。」
松田:
「でも、ちょっと呆然としたっていうのはありましたけどね。」
犬飼:
「呆然と?」
松田:
「『アンティゴネー(への旅の記録とその上演)』をやった後、この後どうしようかなって。もう1回じっくりやり直そうっていうのがあって。」
犬飼:
「いわばマレビトの会のこれまで活動を振り返ってきた中で、戯曲というものをどんどん解体していくようなプロセスだったと思ってるんですけど、もう一度、戯曲に立ち戻るということなんですか。」
松田:
「そうですね。ただ書き手は現場に行って、自分の見聞きしたある感覚を戯曲として提出してくれ、という。それは短くてもいいというか。(戯曲が)いくつもあるので。
俳優はいつもの服を着て、身振りとか発話とか、俳優の動きによって場所を立ち上げる。マイムみたいなことをして場所を立ち上げるみたいな。
場所を上演することをやり始めたのがこの時だったかな。場所っていうのは、『長崎(を上演する)』だったら長崎。モチーフとしてはずっと被爆都市っていうのがあるから、そこは手放さずに、そこをテーマとしたものをもう1回つくり直していくという感じですかね。」

犬飼:
「都市を描くということと、ドラマ演劇を再検討するという、その二本軸があった時に、重要なプロセスとして、戯曲を書く人が都市を実際に訪れるというプロセスがあって、それにプラスして、上演する時の俳優の振る舞い。先ほどマイムという言葉が出たんですけど、都市を描くという時に、適切な振る舞いというか、上演の演じ方ですかね。というものもかなり長い文章で、マレビトの会のウェブサイト(「演劇論(2017)」)で書かれてたと思うんですけど。」
松田:
「あ、そうですか。」
犬飼:
「〈食べる〉という行為を例に挙げて書かれていました。僕もきちんと理解できているのか分からないので確認しながら喋らせていただくんですけど、たとえば〈チョコレートを食べる〉というのが戯曲にあった時に、実際のチョコレートは舞台上にはあげない。マイムで、手が口に運ばれる。この〈疎かさ〉、この〈マイムの雑さ〉が大事だと。」
松田:
「疎かさ?」
犬飼:
「雑なマイムである必要があるということですね。」
松田:
「物は言いようだよね。もっとうまくできればよかったんやけど。でもそれは本当に確かに、うまくしたらあかんのやけど。」
犬飼:
「粗雑な動きにあえてするというふうに。」
松田:
「はい。」

犬飼:
「食べるという行為が戯曲上に書かれていて、舞台上の上演時に、実際に食べる表現をするのではなく、口元に手を運ぶ。観客にはチョコレートかどうかは分からなくてもいいというか。食べた後にチョコレートだと分かるセリフが出てきたりとか、後で戯曲を読んだら分かるとか。そういうふうであるべきだと書かれたんです。」
松田:
「ああ、はい。」
犬飼:
「この振る舞いのルールというか、この上演形式ではこのような振る舞いがされるべきだ、とかなり言葉を尽くして説明されていた。そのあたりのお話を。」
松田:
「それ、ちょっと読み直してこなかったからな。でもワークショップとかで、それこそ俳優さん、(ここにいるのは)2人がね。」
犬飼:
「ああ、生実さんと西山さん、」
松田:
「一緒につくっていった感じがしましたけどね。」
犬飼:
「僕はこの後のシリーズになるんですけど『福島を上演する』で、この演技体を見た時に納得したんですよね。描く対象があって、その対象を描く時に、こうならざるを得ないというか。その辺のことを聞いてみたいと思ったんです。」

犬飼:
「『長崎を上演する』というシリーズは、そもそもどういう公演があったかを先に言っておきますね。
「上演会①」が2013年の9月に立教大学新座キャンパスのロフト1、先ほどおっしゃられたところですね。「上演会②」も同じく新座キャンパスのロフト1で、「上演会③」は新座キャンパスのスタジオ棟でやられてて、「上演会④」、1年くらいかけて新座キャンパスで、」
松田:
「それが2013年?」
犬飼:
「2013年から始まって、2015年までやってますね。」
松田:
「そうですね。 1年間で3回はやれてないっていうか。毎年1回ずつ増やしていったって感じかな。「総集編」が2015年ですか?」
犬飼:
「「総集編」が2015年の8月14日 15日 16日。 最後に「愛知公演」、愛知芸術劇場小ホールで2016年3月、これは書かれた戯曲が全部上演されたんですかね。」
松田:
「愛知では抜粋になったと思います。俳優も変わったし。」
犬飼:
「何本か選んで上演された。「総集編」では全部やった?」
松田:
「「総集編」は全部やりましたね。これは集大成っていうか、よくやったなと思いましたね。その3年間費やしてきたことを。「総集編」で確立した感じもしますし。」

犬飼:
「もう一つの要素として、戯曲が先に読めるというか、戯曲が公開されているのも特色のひとつですよね。この公演についてお話を聞いていけたらなと思うんですけど。
三宅さんからお聞きして、今の話で何か気になるポイントとか、補足することってありますか?」
三宅:
「そうですね。基本的にはないかなと思いますね。愛知の上演は愛知県の芸術劇場でやったっていうくらいですかね。」

犬飼:
「最初の頃は、戯曲は分断されてたんですか?」
三宅:
「あ、ごめんなさい。えっと、分断?」
犬飼:
「戯曲が途中で切れて、違う戯曲に行って、前編・後編に分かれていたりしたり、」
松田:
「ああ、したりしましたよ。」
犬飼:
「だから、よりスケッチに近い状態から、一本の戯曲が戯曲として(徐々に上演されるようになった)?」
松田:
「長いやつは前半・後半に分けた場合もあるけど。」
犬飼:
「上演スタイルに関しても試行錯誤があったということなんですかね。すみません、ちょっと僕、言おうとしたことに横入りしたかもしれない、」
三宅:
「私は劇作家の一人として参加したんですけど。先ほども言われたように、長崎にまず取材に行って、本当に作家本人が見聞きしたものをもとにして戯曲をつくるということがありました。その時に劇作家は7名ぐらいいたんですけど、それぞれが示し合わせて何かを、っていうのはなくて、個々バラバラに長崎に行って、戻ってきて書く、という感じでしたね。」
犬飼:
「書く時というのは、実際に行って、〈あ、これ書こう〉って思うのか、帰ってきてどうしようかなって考えるのかとか。」
三宅:
「そうですね。他の方がどういう形で書かれたのかわからないんですけど、私の場合は、最初は本当に手探りの状況だったので、行って見聞きしたものを〈物語〉にするという傾向があったかなと思っています。」

三宅:
「向こうで取材したことをそのまま戯曲にするよりか、取材したことをモチーフにしたものを形にする感じが強かったんですけど、徐々に上演を重ねるにつれて、実際に行って体験したことを積極的に取り入れるようになったというのが、私の場合、とくにそういうことがありました。
なので2回目に行った時の、バーで起こった出来事と、戯曲にしたんですけど、その時は実際に行ったバーそのものをモチーフにしたりとかっていうことはあったので。それぞれ書いた人の話とかを聞いていくうちに、いろんなやり方があるのを知って、それでちょっとずつ書き方も変わっていったのかなと思います。」
犬飼:
「なるほど。人それぞれなところもありつつ、」
三宅:
「最終的にはそうだと思います。」
犬飼:
「舞台上に俳優として立つのは、どんな感じだったんですか?西山さんからお伺いしようと思います。」
西山:
「私は、『アンティゴネー(への旅の記録とその上演)』の時からの流れがあったなって思っていて。」
犬飼:
「『アンティゴネー(への旅の記録とその上演)』から共有する何かがあった、」
西山:
「そうです。〈思い出す〉じゃないですけど。この場合は(現地には)行ってないんですけど、戯曲を読んで、思うこと、風景とか、そういうものを空間に念写するみたいに感じて、感じたものに対して動くみたいな。
ここに「チョコレートあります」と説明するために動くことも、普通の劇だったら多いんですけど、それはあまりやらなくてよくて、「チョコレート食べた」と読んだ、感じた、感じたものだけはやる。そのためにちょっとだけ動きが必要だったらやる、そういう感じで演技をやってた気がする。『アンティゴネー(への旅の記録とその上演)』の流れがあったなと思ってました。 」

犬飼:
「つまり、「マレビト・ライブ」の時(マレビトの会を振り返る vol.6)に、京都の街の中に〈N市〉を持ってくるような感じ。これとちょっと似たような感じ?」
西山:
「ああ、そうかも。そうですね。」
松田:
「なんで?」
西山:
「劇場の空間の中に、(戯曲上に出てくる)美術館を重ねるみたいな感じで。」
松田:
「あ、そうそう。そうだね。」
西山:
「(観客から)見られていることによって働く重力というか、ここから横に動いた方がその空間は伝わりやすい、という力学もありつつ、自分の中の〈美術館〉を感じている力学もありつつ、その2つに引っ張られた交点の動きをしている感覚だった気がします。」
犬飼:
「チョコレートを示すために手を動かすというより、口の中にチョコレートがある感覚を想起することを優先する、という話だったと思うんですけど、その場合では、手の振りとしては、それほど口に近づけなくてもよい場合もあるってことですね。」
西山:
「なる場合もある。(手の振りをして)もうここから始まる場合もあるとか。」
犬飼:
「なるほどなるほど。」
西山:
「覚えているのはクラブみたいな、大きい音が流れている場所で話す時に、それをシーンとして、演劇でやってくださいってなったら、体勢でこういうのとか、」
犬飼:
「ヒソヒソ話の、耳に口を近づけてしゃべる(手振り)。」
西山:
「っていう手振り。身振り手振りとかの説明。お客さんへの説明もあるし、自分への説明もある。という手振りが助けになるけど、その時は〈聞こえない〉という感覚を重視した場合、そういうのはあまりやらなくてよくて、ただ声がこうなる(大きくなる)みたいな。」
犬飼:
「だから、前回の公演までの形式と、今回が大きく変わったというよりかは、引き継がれている部分も多いという話ですよね。」
西山:
「っていう感じです。はい。」
犬飼:
「演技体としては。」
西山:
「なんか〈N市民〉が増えるみたいな。〈N市民〉をここでもやるみたいな。ちょっと分かりにくいですかね。」

犬飼:
「いや、なんとなく僕は見えてきました。生実さんはどうでした?『長崎を上演する』が始まってからの。」
生実:
「上演のテキストがあって、それを自分の感覚とかイメージを駆使して何か発表するというよりは、現実の劇場の力が自分にとっては強くて、感覚とかイメージよりは、マイムみたいなものをポンと置くみたいな感じでセリフを発する、ポンと置くみたいな。なんかそういう感覚だったような。」
犬飼:
「劇場の中に、そういったものを配置していく感覚?」
生実:
「配置、うーん、」
犬飼:
「配置というよりかは発生させるというか?」
生実:
「そうなんですかね。」
犬飼:
「セリフだとか身振りとかを。」
生実:
「配置っていうとかっこいいですけど、なんかもうちょっと雑な感じ。」
犬飼:
「もうちょっと弾ける感じ?」
生実:
「弾けるっていうんですかね。なんなんだろう。」
犬飼:
「劇場との関係性というものを感じたっていうことですか?自分のいる場所を。」
生実:
「現実の劇場を強く。(そういうものに)支配されてた気がしますけど。」
西山:
「自分の演技をなんでやってるかみたいなことを話し合ったりしましたよね。」
生実:
「ああ、しました。結構、皆さんそれぞれに違う、」
西山:
「「絵を見てます」とか言って、「絵見てません」とか言って。」
生実:
「そうそうそう。そういうレベルで。」
西山:
「絵を見るシーンがあって。絵を見るの時に実際に絵をイメージしてますっていう人と、」
生実:
「立って一点を見てるとか。」
西山:
「立ってそっちを向いてると、(絵を)見てるようにみえるねみたいなのとか、喋りましたよね。」
犬飼:
「僕がこのシリーズを拝見したのが『福島を上演する』という、ひとつ後のシリーズなんで、それに至るまでの演技面というか、舞台上での立ち振る舞いで試行錯誤があって、僕が見たときには完成形というか、一つの形式に近づいているものを見たのであって、そこに至るまでに動き方、振る舞い方の取捨選択があったじゃないかと思いました。」
松田:
「取捨選択があるかもしれないけど、でも『長崎(を上演する)』をやった時の3年間は、俳優たちの内面の問題と見えてくる問題(があった)。それで、内面はあまりすり合わせもしなかったんですね。それは必要ないかなと。
ただ、見え方として、 僕は演出する側からすると、よく言ってたのは、〈体(てい)〉っていう言い方をしていて。何々している体(てい)であれば、それが身体との身振りとして表出されてなくても、内面化したままでも、その人がそういう思いでいれば、そこに立っていれば(成立する)。
それは『アンティゴネー(への旅の記録とその上演)』の〈第二の上演〉をやったからだと思うんですけど、観客の前に、内面さえ、俳優として、そこが長崎のつもりで立っていればいいと。立てるだろうっていうような。僕は俳優じゃないんでわからないんですけど。」

松田:
「そのやり方が、西山さんと生実さんとはちょっと違うのかもしれないけど、生実さんとかは現実のロフト1の、あるいは観客との関わりの中で、どういう身振りをした方がそこに立てるかっていうことで、演技設計をちゃんとしてるのかもしれないですけど。
西山さんがしてないって意味じゃないですけど。西山さんは、もうちょっと内面の方を充実させていって、身振りがおろそかになっていても、内面がしっかりしていれば、そこを横切れるとか、動きができるとか、チョコレートが食べられるとか。なんか粘ついてる動きをしなくても(成立する)。でも、生実さんは多分そんなに詳細なネバ付きの〈チョコレートに見えるわ〉みたいなことを目指してはいないだろうけど、ここでは身振りを入れるとか、与えられた時間、演技の時間の中で、何を採用して、何をやらないでおくかが、わりと決まってるっていうようなことですかね。」
生実:
「そうですね。」
犬飼:
「俳優によって振る舞い方の、そのレベルでの違いは、その場所に共存している。そこを揃える必要がない、ということであると?」
松田:
「それは俳優の作業なんで。演出する側がタッチできない部分かなっていうのはありますけどね。そこは俳優で設計してよって感じですか。」
犬飼:
「なるほど。稽古場を拝見させてもらった時に、『福島を上演する』の時の稽古場だったんですけど、松田さんが、人の配置とか向きとか、そういったところへの演出が多かったと思うんですけど『長崎を上演する』の時からずっとそういう感じなんですかね。」
松田:
「ある程度はそうですよね。だけど、それが積極的になったのは『福島(を上演する)』になってからで。それは俳優にも聞かなきゃいけないけど。
もうちょっと余裕があったんで『長崎を上演する』って。試演会レベルで。あんまりバジェットもないわけで。1回1回実験的にやってた時もあったので。時間をかけられたんで、そんなに性急にはやってない。とはいえ限られた時間でやんなきゃいけないので、演出する人がどういうふうに動きをつくっていくか、みたいなことを先にはやってましたけど。
『福島を上演する』のときには、1.5倍か2倍ぐらいに膨れ上がっていったんで。」
犬飼:
「戯曲の数が多かった。」
松田:
「そうなるとまずコスパを考えるっていうか。1、 2回ぐらいで本番になる感じですね。」
犬飼:
「とにかく多い時に僕が(稽古を)みたのかもしれないです。戯曲の数が。」
松田:
「ちょっと大丈夫かなって感じでやってたんで。俳優は大変だったと思いますけど。」
犬飼:
「すごいバミリの数でした。」
松田:
「そうですか。」

犬飼:
「ここまでの話を踏まえて、松田さんにお聞きしたいのが『長崎を上演する』では、正しい見方というものはないとは思うんですけど、松田さんの目には、舞台上で上演されているものは、劇場の中で俳優が動いているのが見えるのか、長崎の風景がそこに呼び起こされているのか、どっちのように見えているんですか?」
松田:
「だから僕はどっちも見える立場にあるんですよね。でも観客は初見なんで、本当に見えないんだろうなと。手がかりがないまま俳優の動きを見ることになるんだろうなっていうのはあって。でも観客が見えるものでいいというのはありましたね。
そっちの方がむしろおもろいっていうか、現前する上演の、そこで戯曲の内容がそのまま、解像度がよく見えるように、イメージが見えるように、観客に伝わる必要はない。
それより俳優がある場所にいるつもりで、いろいろ振る舞いをしているっていう。ある振る舞いをしていることが、スリリングなんじゃないかなっていうのは思いましたけどね。」

松田:
「でも、観客の中には戯曲を読んで予習してくる人もいるから、イメージがつかめる人もいるのかもしれないですけれども。むしろ、何もわからないまま振る舞いを、あるいは身振りを、そこに何かある場が、明らかに俳優たちは〈今ここ〉とは違うところが見えてる、というか。
セリフの内容も、そういうことを言っているわけで。だから改めてそのことが一番(面白い)。今ここに俳優はいるけど、今ここにいるわけでもない、という。演劇をやることの面白さみたいなことを強烈に意識しましたね。その時に初めて。
そこにいるけど、同時にそこにいるわけでもない。そして、同時にここにいるっていうね。そこにいないで、ここにもいるし、ここにいながらそこにいるっていう。この隔たりの部分ですよね。舞台っていうのが境界線上にあるものだということが、強烈に現前している。現場性が失われつつ、存在しているっていう。
奇妙な演劇の、それは演劇でしかできないことなんで、それが意識されればいいなと思いましたね。そのために美術とか音響とか照明とかが、一切いらないっていうのがね。」
犬飼:
「たくさん戯曲の数があったと思うんですけど、一番覚えている戯曲とかあったりします?これあったなみたいな。『長崎を上演する』といったらこれ、みたいな。」
松田:
「僕は、やっぱり、これやった時は転換点になったっていうのは「追悼施設にて」なんですけど。
何本かの追悼施設、原爆資料館の近くにある地下の施設なんですけど。被爆者の名簿が眠ってて、ただ静謐な空間にポツポツと来訪者がやってきて、去っていくだけの。それをそのまま上演したんですよ。その戯曲を、戯曲といってもペラ一枚の数行で終わる、誰かが来て、ずっと警備員がいて、そこにカンパニーが来たり、一人で来たり、ずっと座り続けている人がいて、去っていくっていうような。それを上演した時に、決定的に何か変わった気がしましたね。」

犬飼:
「ト書きで書かれている戯曲ですよね。」
松田:
「ほとんどセリフないんですけどね。やってきて去っていく。
途中で全員いなくなる、ガードマンさえいなくなるシーンがあるんだけど、観客はなにを見てるんだろうっていう感じに(なる)。でも、今までの空間を俳優が想定していた雰囲気がそのままやっぱり残って。でもあまりにも長いと戻っちゃう。その戻っちゃう寸前で、また俳優がやってきて、」
犬飼:
「戻っちゃうというのは現実世界に戻っちゃう?」
松田:
「戻るんかなっていう。でもちょっと長くとった。っていうくらいのことで、空間を設計していきたいというのがあって。」
犬飼:
「俳優が去って無人になったとしても、その空間はまだ保たれている、」
松田:
「うん。そこが追悼の施設だから成り立つのかなとは思いますけど。つまり、スケッチの演劇ですね。徹底してスケッチにした。その後『福島(を上演する)』で図書館(「いわき総合図書館にて」)をやるんだけど、図書館もそういうつもりでつくってる感じかな。」
犬飼:
「なるほど。三宅さんは何かありますか。」
三宅:
「さっき、現実に近いような戯曲になっていったって言ったんですけど、そうでもない戯曲も実はあって。アイダミツルさんの「交通難民」という戯曲では落語のシーン、実際に落語するシーンもあったりして。会話劇が多い作品群だとは思うんですけど、そういう作品もあったりしたのは印象的です。」

犬飼:
「なるほど。作家が複数人いるからこそ、そういった、ばらつきって言ったら変ですけど、バリエーションが生まれるということですよね。」
松田:
「ナラティブで物語的なものと、その中間層になるものと、ものすごいスケッチに寄ったものと、3種類ぐらいはあったかなと思いますけど。」
犬飼:
「なるほど。お時間があれですけど、もうひとつ、こういう戯曲があったなっていうのはありますか。いろいろなのがあるって聞くと、やっぱりいろんな話が聞きたくなりますよね。」
西山:
「普通に戯曲として、「夏になったら蚊が出るぞ」のやつ。」
生実:
「「フレンチレストランにて」。」
西山:
「「フレンチレストランにて」。めっちゃ好きでした。多分回数いっぱいやってるのもあって、印象深い。」

犬飼:
「フレンチレストランで会話。僕も戯曲だけ拝見したことがあって。なんでしょう、物語というか、まあ会話の、」
西山:
「会話の劇。」
犬飼:
「お話として印象的?」
西山:
「そうですね。面白かった。やってても。」
犬飼:
「なんかちょっと嫌な気分になる、」
西山:
「嫌な気分になる。」
犬飼:
「読み終わった後に。最後に少年が絵を見て、」
西山:
「あ、そうそうそう。それだ、絵を見るやつ。」
犬飼:
「パリのセーヌ川。それに目を奪われるところで終わるので、その嫌な気持ちがスッと、」
西山:
「少年です。生実くん。」
犬飼:
「少年役でやられてた、」
生実:
「はい。」
松田:
「お金が支払われないんだよね。なんか。」
犬飼:
「クレジットカードが使えるはずだったのに使えませんって言われちゃうみたいな。」
西山:
「え、割り勘ですか?みたいな感じになる。」
松田:
「もう結婚寸前だという感じだったんだけど、そうでもなかったんだよね、男性にとっては。手紙で返事を書いたみたい。」
西山:
「ああ、そうか。そうだそうだ。」
松田:
「そんな感じだったね。」
犬飼:
「『長崎を上演する』の戯曲はすべて、マレビトの会のウェブサイトから、」
松田:
「あ、読めるんですか。」
犬飼:
「読めます。PDFの戯曲が全部、先ほど言ったように公開されている、そのままの状態で読めるので、いくつか見てもらうといいですよね。」
西山:
「あともう一個、最初の三宅さんが書いた、最初の時にやったやつがあるんですけど。」
犬飼:
「「鷲尾がみた長崎」という戯曲?」
西山:
「みんなスケッチで書いてきたって聞いてたんですけど、なんか森の精霊みたいなやつが出てきたりとか、」
犬飼:
「森の精霊が出てきたんですか。」
西山:
「そういうやつが出てきたりとか。なんか森の奥でニワトリ?なんだったかな、ちょっと忘れた、」
松田:
「なんだろう、ボーリングみんなしてた。」

西山:
「ボーリングみんなしてたりとか。なんか最後お化けみたいな。なんだっけ、」
松田:
「お化けが出てきた?」
西山:
「ト書きで「二人、消える」みたいな。そんなことできるかな、みたいなやつとか、」
松田:
「「腹の調子が」って。」
西山:
「あ、なんかあった気がする。 多岐にわたる、ぜひ読んでみて、」
松田:
「あれ、生きてるのか死んでるのかわかんない2人だよね。」
西山:
「うんうん。」
松田:
「長崎にいろんなところに、鷲尾が行くんですよ。」
犬飼:
「ああ、お話の中で。」
松田:
「観光地に訪れた、」
犬飼:
「鷲尾という人が行くんですか。」
松田:
「観光客なんやけど、カメラ好きで。そこで彼がいろいろな不思議な経験をする。」
犬飼:
「バーにいる話を、ちょっと読みましたけど、」
三宅:
「そうですね、」
犬飼:
「これは違うのか。これは鷲尾とは関係ないんですか。」
三宅:
「それは、そうですね。私の書いたやつの中で別の、」
犬飼:
「何名の方が書かれてるんですか、」
松田:
「一番謎なのは、遠藤(幹大)くんの作品だと思うね。」
犬飼:
「遠藤さんの。「生徒たち」という?」
松田:
「「生徒たち」は面白かったんだけど。」
犬飼:
「そんなこと言ったら、」
三宅:
「「神林の行方」。」
松田:
「「神林の行方」だ。いまだによくわかんないんだよね。」
犬飼:
「これ、ちょっと読んでみたいですね。」
松田:
「「生徒たち」はいい、よかった。」
犬飼:
「7名、8名ぐらい?手元の資料で勘定しただけなんですけど(正確には7名)。戯曲もいまだに読める『長崎を上演する』のお話でした。まだ全然喋れちゃうんですけど、この辺で切らせていただいて。」
松田:
「はい。」
犬飼:
「ここまでやってきたことから、ガラッと変わったのかなと思いきや、地続きでもあるというのが、僕は印象的に聞かせていただきました。
ということで、第8回目の〈マレビトの会を振り返る〉でした。どうもありがとうございました。また次回に続きます。」
マレビトの会 新作公演

『皿の上の見えない人間 Invisible woman on the plate』
日程|2026年3月19日(木)〜 22日(日)
会場|SCOOL(東京・三鷹)